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2008年11月28日 (金)

小倉・門司散歩――その4

延命寺を辞去し、≪宮本武蔵顕彰碑≫が初めに建てられた場所であり、現存する場所でもある手向山に向かいます。

現在は手向山公園となっているこの小山の山頂部に、碑はあります。

Img_1577

写真では何度も見ていますが、実物の前に立つと、大きな碑でありながら、やや華奢な感じに見え、意外と女性的な印象を受けます。
宮本武蔵に関する逸話には、その人柄の狷介さ、猛々しさを伝えるものが多くありますが、養子の伊織にとっての武蔵の印象を、この碑の姿が反映しているのなら、武蔵観を改めなければいけない、そんな気すらしました。

ちなみに、同じ手向山山上の、この碑の近くに村上元三の小説「佐々木小次郎」の連載完結を記念する碑が建てられています(昭和26年建立)。

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なぜ?

呉越同舟という感じで、少ししっくりきません。

砲台が造られる前、ここには≪宮本武蔵顕彰碑≫があっただけではなく、宮本伊織の流れを汲む宮本家代々の墓所もありました。
明治20年に砲台の建設にともない、宮本家の墓所は手向山の小倉側のふもとに移されました。
現在もそこにあります。

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何もそんな場所に小次郎の碑を建てなくても。

ちなみに碑の設計者は谷口吉郎。
吉川英治とも交流があり、吉川英治の墓や吉川英治記念館の設計者でもあります。

小次郎の眉涼しけれつばくらめ

と刻まれています。

ところで、文学館協議会の部会の合間に、市立文学館の受付の女性に、「小倉から門司まで歩くとどのくらい時間がかかる?」と尋ねたところ、「歩かずにバスを利用した方がいい」と言われてしまいました。

そう言われると歩きたくなるのが人情というもの(?)

で、ホテルから手向山まで歩いてきました。
7時20分にホテルを出て、砂津と延命寺で写真を撮って、手向山にたどり着いたのは8時30分過ぎ。
近いじゃないですか(微笑)

しかし、手向山でゆっくりしていたら時刻は10時に。
ここから門司駅前までは立ち寄る場所もないし、時間に制限もあるので、結局、路線バスに乗って大里という所まで一気に移動してしまいました。

旅行Ⅱの際、吉川英治は「大里の柳ノ御所址」に立ち寄っています。
柳の御所は、平家一門とともに西海に落ち延びた安徳天皇の仮御所。
その場所とされるのが、現在の御所神社です。

Img_1667

と言うことで御所神社を訪ねたのですが、吉川英治の文章とは印象が違います。

裏町の家と家とのあいだに、樹木もない鳥居とトタン屋根だけの裸のお宮がそれであった。

と、吉川英治は書いています。
しかし、御所神社の社殿は、神社に掲げられた説明書きによれば、明治35年に明治天皇が熊本での陸軍特別大演習に行幸した際に休憩所として使用した大里停車場構内の建物を、翌年移築したものだとあります。
だとすると吉川英治が訪ねた時にもあったはずです。
これを「裸のお宮」と言うのは、ちょっと違うような気がします。

Img_1666

鎮守の森もない、ということならば、現在の御所神社も、そのような姿ではありますが。

柳の御所の場所にはいくつか説があるらしいので、案内されたのは別の場所だったのでしょうか。

ちなみに、吉川英治は、幼い安徳天皇の御所址が、近所の子供たちの遊び場になっている様を見て、

敗戦国の子供らが、ここに遊び群れているのを見給え、いかにもふさわしい一幅の歴史画ではないか。また、一篇の詩ではあるまいか。

と書いています。

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