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2008年11月29日 (土)

小倉・門司散歩――その5

御所神社から門司駅前まで歩き、そこでタクシーに声をかけました。
「風師山から巌流島を見下ろしたいので、車で行ける所まで行ってもらえませんか」と。

旅行Ⅰの際、吉川英治は船を頼んで巌流島に渡ろうとしました。
しかし、現地の朝日新聞支社のカメラマン(「宮本武蔵」は朝日新聞に連載されました)から、島に上陸しても見るものはない、それより風師山から大観した方が往時を想像するのにいい、とアドバイスされたため、渡島はあきらめて、自動車で風師山に登り、巌流島を眺めました。

それをやってみようというわけです。

運転手さんは、「風師山って車で行けるの?私は行ったことがないよ」と言いながらも、快く引受けてくれました。

まあ、タクシーで行く人はいないでしょうねぇ(笑)

ハイキングしている人を追い抜きながら、行ける所まで行ってみると、自動車で入ることができる道の突き当りが展望台になっていて、そこから巌流島を見下ろすことが出来ました。
吉川英治がたどり着いた場所もここだったのでしょうか?

Img_1688

ただ、現在は巌流島の方向には樹木が生い茂っていて、木の間から島が見えるという感じで、見渡す、とまではいきませんでした。

風師山から、そのままタクシーで和布刈公園まで行きます。
ここには、門司城址があります。
地図にそのもの≪古城山≫と書かれている頂に登ると、そこに『史蹟 門司城跡』の石碑があります。

Img_1692

門司城は「最初平知盛が源氏との合戦にそなえて、長門国目代紀井通資に築城させた、といい伝えられている」と北九州市教育委員会が設置した説明板にあります。

山腹の岩角に立つ。枯れ尾花に、風がつよい。

と、吉川英治は書いていますので、山頂まで登ってはいないかもしれませんが、旅行Ⅱの際、吉川英治はこの山から関門海峡を見下ろして壇ノ浦の合戦について思いをはせています。
まだ関門橋が架かっていない頃ですから、眺めは良かったでしょう。

ちなみに、山腹にある展望台から関門海峡を撮影したパノラマ写真がこれです。

Kanmon_1

この時、吉川英治は山陰に工場らしい建物と守衛小屋があるのを見て、山に立ち入るの逡巡してしまい、案内してくれた朝日新聞西部本社の人間に笑われているのですが、逡巡した理由について

かつての要塞地帯時代にビクビクさせられた神経が、ひどいもので、まだどこかに残っていたものとみえる。

と書いています。
その言葉通り、古城山の山頂にも、先程の手向山同様、砲台の跡がありました。

Img_1703

旅行Ⅰの際に、手向山ではなく延命寺山に行かなければならなかった記憶がダブったのかもしれません。
それに、写真に司令部の許可が必要だったことも。

山を下ったところの海際に和布刈神社があります。

Img_1727

旅行Ⅱの際、最初に訪ねたのがここで、ここから海峡を眺め、色々と説明を受けています。

訪ねた時には、神社はまだ戦後の荒廃から抜け切れておらず、崖が崩れていたり、松や杉もあとかたもない、という状況だったようです。
「こんな所まで、戦火は余さなかったものか」と書いていますが、神社の頭の上が砲台では仕方のないことでしょう。
いまは関門橋が頭の上を走ります。

Img_1755

何も、思いを平家敗戦の遠くにまで持ってゆくには及ばない。つい昨日のぼくらの身ぢかでたくさんだ。そうじゃないか、生き残りの痩セ木君。

からくも境内に残ったわずかな木々に、吉川英治は語りかけています。

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