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2008年12月21日 (日)

文藝の三越――承前

さて、各部門三等もしくは四等まであり、当選者の総数は二百人。
三越が発行していた雑誌『三越』の大正2年12月号で結果を発表した上で、作品を収録したこの冊子を大正3年1月10日付で刊行しています。

ただし、掲載されているのは脚本、小説、論文、写生文、狂言、お伽脚本、お伽噺、長唄・常磐津・清元、落語は一等のみ。唱歌は二等まで。写生画は三等まで。一口噺、端唄、和歌、俳句、川柳、狂詩、狂歌、情歌は四等まで。表紙図案は明記はありませんが、実際にこの冊子の表紙に用いられているもののようです。

昨日リンクをつけた先で引用した菊池寛の「半自叙伝」の記述では

そのとき僕は「流行の将来」という課題に応募し、三等に当選して五十円を貰った。

とあります。
この課題は論文部門のものですが、残念ながら論文は一等しか掲載されていない上に、二等以下の名はこの冊子の方では割愛されているので、菊池寛の名はこの冊子の中にはありません。
ついでに言えば、論文部門は二等五十円、三等三十円となっていますので、菊池寛はもらった額か、自分の当選した等級のいずれかを記憶違いしていることになるのですが、『三越』は所蔵していないので、今は確認できません。

ちなみに、各部門の一等当選者は以下の通りです。

小説=松村みね子
脚本=田頭音一
論文=手塚小南
写生文=匂ひ草(横山碧川)
お伽脚本=杜口なぎさ(森口多里)
お伽噺=足立昌雄(鈴木狭花)
狂言=中村伊之吉(中村秋湖)
常磐津=若松操(浅井房次・中井哲)
唱歌=横田小寿栄
落語=鈴木蘭蝶(鈴木増蔵)
一口噺=下谷花色(伊藤秀雄)
端唄=野村波の家(野村宇一郎)
和歌=正木ふぢ
俳句=荒川小虹子(荒川倫子)
川柳=吉川独活居
狂詩=岡野辰之助
狂歌=小林里子
情歌=但馬伽羅蔵
表紙図案=小林専
写生画=池田永治

『文藝の三越』には、各一等当選者のプロフィール紹介文があり、そこに本名や別名が記載されている人物についてはそれをカッコ内に記載しました。

当時の文壇・論壇・画壇に関心のある方なら気になるであろう人物も含まれています。
とりあえず「日本近代文学大辞典」(日本近代文学館編 講談社)を確認してみると松村みね子と森口多里の名が見つかります。

松村みね子は、ここでのプロフィール紹介では「文学博士佐々木信綱氏の門下で別に本名のある方らしいのでございますが、本名を出す位なら賞金も要らぬ、棄権してしまふといふ程に謙遜な態度」なので本名は伏せるとしています。
このことから、同姓同名の別人ではなく、佐々木信綱門下の歌人として今に名を残す片山広子(これが本名)であることは間違いないでしょう。
松村みね子名義では、アイルランド文学の翻訳で業績を残しているようです。

森口多里は、ここでは「早稲田大学文科の三年生です近頃は『早稲田文学』などで美術の評論をして居られます」と紹介されていますが、まさに後年、美術評論家として名を残しています。

さて、このうちの≪吉川独活居≫が、本名・吉川英次、後の国民作家・吉川英治なわけですが、そのプロフィール紹介文は

△川柳第一等当選者古川独活居氏
『剣花坊門下でも新参の方、故参の人々も沢山出吟して居るのに、自分が当選したとは洵に意外です』と極めて謙遜な青年。

となっています。

≪古川≫って(苦笑)
ルビまでちゃんと「ふるかは」になってます。
せっかく一等になったのに、ちょっとあんまりな話です。

それと、他の当選者については本名がどうの、職業がこうのという話が紹介されているのに対して、吉川英治のものはたったこれだけ。

逆に言えば、まだこの時の英治は、素性もよくわからない満年齢で21歳の若造に過ぎなかったことが、よくわかります。

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