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2009年1月 7日 (水)

百穂の鴨

松山市立子規記念博物館から新春特別展「平福百穂と子規派の人びと」のチラシが送られてきました。

この百穂についてのちょっとしたエピソードを吉川英治が「鴨と鹿の頭」という随筆に書き残しています。

おおまかに要約すると、こんな話。

英治が、なじみの美術商を訪ねたところ、たまたま秋田県で仕入れてきた品物が、届いたばかりというので店の二階に散らかっていた。
その中に百穂の鴨の絵の書かれた屏風があった。
寝ている鴨の中に一羽だけ起きている鴨がいる図案に、「世間の人間が皆、寝るべき時をちゃんと寝ている時分に、ひとりで机に眼をさまして――そのくせちっとも書けもしないで、壁ばかり見ている誰かに似ているナ」と面白くなって、英治はこれを入手した。
ところがある時、その屏風を見た友人の伊上凡骨が、これは百穂が大正博覧会に出品して評判をとったあの『鴨』じゃないか、と言い出し、おせっかいにも百穂本人にまで確かめに行って、間違いないとの答えを聞き出してきた。
その百穂が昭和8年に急死し、その遺墨展覧会が開かれることとなり、請われて英治も『鴨』を貸し出した。
そのことで、『鴨』の所蔵者が英治であると知った好事家たちから、譲り受けたいという依頼が次々と舞い込んで来た。
そんな中に、新潮社の中根駒十郎が持ち込んできた口があった。
百穂は保険に加入していなかったうえ、画債もあり、未亡人が困っている。
生前の百穂のパトロンだった富豪が『鴨』を買いたいと言っているので、未亡人を仲介者にしてそこに取り次げば、幾ばくかでも未亡人の手に入るであろう、と言うのだ。
そういう話ならと、英治も売却に承諾した。
ところが、富豪というものの心理なのか、いざ商談となったらあれこれと難癖をつけて値切ってくる。
パトロンとして世話になったという気兼ねもあって、未亡人も強くは出られず、結局、ほとんど何の足しにもならないような金額しか、未亡人には渡らなかった。

後半の富豪の話はあくまでも中根を介して聞いた話なので、どこまで正確なのかはわかりません。
わかりませんが、初出である『改造』昭和12年1月号に掲載されて以降、クレームも受けずに、現在までくり返し単行本に収録されていますから、似たようなことはあったのでしょう。

随筆には、屏風を富豪側に引き渡す場に立ち会った英治の弟が「何だか今日が急に、明治二十年頃のような気がしてしまった」と英治に語ったと書いています。
幼い日に、父親の事業の失敗で家が傾き、家財を売って糊口をしのいでいた経験がある英治の気持ちを代弁したものと言えるでしょう。

しかし、こんなことを書かれてしまっては、富豪氏も、以後この作品を世間には出せないですよね。
現在の所蔵者がこの富豪氏を関わりがあるのかどうか、私は知りませんが。

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