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2009年2月 3日 (火)

杉並の続き

「吉川英治は杉並に住んでいたか?」という問い合わせですが、図書館経由の問い合わせなので、「そのことはどんな本に出ているか?」という質問が、それにくっついていました。

さて、私は電話が苦手で、急に質問されると、どうもすぐには頭が働きません。

自叙伝である「忘れ残りの記」の巻末にある『自筆年譜』には出ていますよ、とお答えしたのですが、電話を切ってから、どうせなら「伝記 吉川英治」(尾崎秀樹)なんかも付け足しておけばよかったと思いついても後の祭り。

そんなわけで、図書館で問い合わせた方が、ここをご覧になるかどうかわかりませんが、少し補足を。

吉川英治は、自筆年譜では大正13年(1924)の項目に、以下のように書いています。

原稿生活の自信ややつく。杉並区馬橋に借家。(略)隣家に井上剣花坊氏も市中より移り来て住む。(略)

これに対し、尾崎秀樹は「伝記 吉川英治」で、こう書きます。

吉川英治はよく家を変った。(略)震災の翌年には、杉並の馬橋に移転した。(略)その家も数ヵ月たたないうちに飽いてしまい、陸軍通信学校に近い馬橋の五四七番地に移った。井上剣花坊と隣りどうしになったのは、そのときである。(略)

これはどちらも、少々不正確です。

大正13年の段階で転居した先は、杉並は杉並でも高円寺でした。
一昨日書いたように、≪杉並町高円寺1016番地≫です。
そして、その後に同じ杉並町の≪馬橋547番地≫に転居しています。

ただし、その転居は、高円寺への転居から数ヶ月後ではなく、大正15年(1926)のこと。

実は、高円寺の住所から編集者に宛てた大正15年2月19日付の書簡が現存しています。
そして、同年4月16日付けで、馬橋の住所から出された書簡がやはり存在しているので、転居がその間であることは間違いありません。

つまり、吉川英治の杉並在住は

大正13年~15年=高円寺
大正15年~昭和4年=馬橋

ということになります。

なお、「伝記 吉川英治」より14年後に書かれた伝記「吉川英治 人と作品(後に「人間 吉川英治」に改題)」(松本昭)では、このあたりのことが修正されています。

ということは、「人間 吉川英治」を奨めた方が良かったのか?

だから電話は苦手です(苦笑)

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