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2009年2月 1日 (日)

高円寺じゃないよね

昨日、青梅市中央図書館から問い合わせがありました。

「利用者の方から、吉川英治が杉並に住んでいたことがあると聞いたが、それは本当か」という問い合わせがあったが、それは事実だろうか?

という問い合わせでした。

さて、実は吉川英治は、その生涯でおよそ30回も引越しをしています。

自叙伝の「忘れ残りの記」は、吉川英治の誕生から、おおむね母・いくが亡くなる大正10年(1921)までのことが書かれています。
その記述を追って見ると、吉川家はその間にちょうど20ヶ所の家に居住したことになります。
つまり、引っ越し回数は19回。

その中には何ヶ所か、英治自身は居住しなかった家も含まれますが、その間の英治は商店や工場に住み込みで働いていたり、一人暮らしをしていたりしており、それも引越しのうちに数えるならば、英治個人としては差引して20回以上の引越しになります。

もちろん、これらのほとんどは英治の意志によるものではなく、父・直広の考えや家庭の事情(貧困のために家賃滞納で追い立てを食った)などの理由によるものです。
しかし、こうした経験をしてきたせいか、作家として成功をおさめた後になっても、短期間で引越しを繰り返しています。

本格的に作家デビューした大正13年(1924)からの足取りを見てみると

都内千駄木町
 ↓
杉並町高円寺1016番地
 ↓
杉並町馬橋547番地
 ↓
落合村上落合553番地
 ↓
芝区芝公園14号地
 ↓
赤坂区表町3丁目24番地
 ↓
吉野村柚木
 ↓
品川区北品川4丁目740番地
 ↓
渋谷区松涛83番地
 ↓
港区赤坂新坂町1番地

となります。
ご覧の通り、杉並の2ヶ所に居住しています。

よく、吉川英治記念館はどういう場所かということを来館者の方に尋ねられて、「疎開して10年ほど住んだ場所です」とお答えすると、「それだけか」と言われてしまう事があります。
しかし、70年の生涯で30回もの引越しをした人間にとって、10年というのは、すごく長い時間なのです。

実際、同じ家に住み続けた期間としては、記念館となっているこの旧吉野村の家が、一番長いのです。

そこのところをピンと来ていただけないのが、残念なところです。

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