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2009年2月10日 (火)

吉川英治の落語

さて、草思堂落語会の演目はまだ決定していませんが、吉川英治の書いた≪落語≫について、もう少し詳しく触れておきます。

見落としがあるかもしれませんが、確認した限り、吉川英治の作品で、雑誌に発表した際に、作品タイトルの上に≪新作落語≫と付されている作品が7作品ありました。

それが以下のものです。

「弘法の灸」(雉子郎)=『面白倶楽部』大正11年4月号

「花見どむらい」(望月十三七)=『面白倶楽部』大正13年4月号

「ポン引き騙し」(不語仙亭)=『面白倶楽部』大正13年5月号

「夢ビル」(望月十三七)=『面白倶楽部』大正13年7月号

「三人強情」(寺島語堂)=『面白倶楽部』大正13年8月号

「寝惚け探偵」(不語仙亭)=『面白倶楽部』大正13年11月号

「ことわり屋」(不語仙亭)=『面白倶楽部』大正13年12月号

以前、吉川英治が複数のペンネームを使用していたことを書きましたが、(  )内がその吉川英治以外のペンネームです。

もちろん『読む落語』であって、内容的にも、眼で読んで頭で笑う、というような作品になっています。

ご覧の通り、1作を除いて大正13年の作品。

吉川英治は大正12年の関東大震災をきっかけにして、翌13年から専業の作家としてデビューしますので、その作家となった最初の年の作品がほとんどということになります。

ということは、逆に言うと、大正11年に書かれた「弘法の灸」は、デビュー前の作品ということになります。

吉川英治は、大正10年12月に、勤めていた山崎帝国堂を辞め、翌11年に東京毎夕新聞に就職したと、自筆年譜では書いています。
この東京毎夕新聞に勤め始めた時期について、川柳家の大野風太郎さんによる「吉川英治 下駄の鳴る音」という評伝では大正11年1月としています。

それが正しいとすると、新聞社の社員でありながら、他社(講談社)の雑誌に執筆もしていたことになります。

4月号なら発売は3月で、原稿を書いたのは1~2月でしょう。

入社したばかりで給料も安いので、小遣い稼ぎをしたということでしょうか?

ちなみに、「夢ビル」という作品だけ、≪新作落語≫ではなく≪新奇落語≫と銘打たれています。

どんな作品かというと……

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