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2009年3月 3日 (火)

川端康成の心遣い

2月は暖かかったのに、ここへ来て寒い日が続いています。
せっかく梅郷の梅も咲きそろってきたというのに、今日も雪です。

さて、企画展「吉川英治と花」に関する話題を、いくつかご紹介していきたいと思います。

昭和37年9月7日、吉川英治は70年の生涯を閉じました。
翌8日通夜が営まれ、9日に自宅にて密葬されます。

その通夜の晩、川端康成が野の花をひと包み携えてやって来ます。
それは、軽井沢の避暑先にいた川端康成が、訃報を聞き、吉川英治の軽井沢の別荘に立ち寄って、そこでみずから摘んできたものでした。

吉川英治さんの別荘のまはりや庭を、私はひとりでさまよひ歩いた。(略)私は吉川さんの庭に、なにかの花が咲いてゐれば、愛してゐられた山荘のことだから、お葬ひの花は吉川山荘の花をつんでゆくのが、地味ではあつても、心はあると思つて、ひとつはその検分に行つたのであつた。

そう川端康成は、この時の気持ちを述べています。

川端康成から受け取った花を、文子夫人は仏前の祭壇に飾りました。

吉川山荘のかへでの枝や笹の葉は、吉川夫人にもよろこんでもらへたが、霊前へ飾るのに、焼香をする側からは裏向きに供へられたので、私がさういふと、夫人は主人に見せてやりたいのでさうしたと答へられて、私はなんとも恥づかしかった。(川端康成の随筆「美智子妃殿下」から)

この話を記憶していたので、先年、吉川文子夫人が亡くなられた際、職員に旧吉川英治邸でもあるこの吉川英治記念館の庭に咲いている草花を摘ませ、通夜・葬儀のお手伝いにうかがう時に持参し、お棺の中に納めさせていただきました。
高齢になって館長から名誉館長へと退かれてからは、あまり青梅にもお出でにならなくなったので、気にしていらっしゃるだろうと思ったからです。

人真似でお恥ずかしい話ですが、愛着を持っておられた記念館の花ですから、些細なものではありましたが、夫人に喜んでいただけたのではないかと、勝手に思っています。

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