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2009年3月18日 (水)

訃報・須知徳平氏

作家の須知徳平氏がお亡くなりになりました。

そのことについて、数件、マスメディアからの問い合わせがありました。

須知徳平氏は第1回吉川英治賞受賞者で間違いないか?

という問い合わせです。

マスメディアの方が疑問に思われるのも無理はありません。

実は、吉川英治賞は、二つあるのです。

昭和37年1月、毎日新聞社から吉川英治の「私本太平記」に対し、毎日芸術大賞が贈られます。
その際、毎日新聞社から、その賞金100万円を基金として、新人作家育成のための≪吉川英治賞≫を創設したい、との申し入れがあり、吉川英治はそれを了承します。
毎日新聞社は、直ちにこれを発表し、原稿を募集します。
しかし、吉川英治は、賞の結果発表を待たずに同年9月7日に死去。
そして、翌38年1月に、第1回吉川英治賞が決まります。

それが須知徳平氏の「春来る鬼」でした。

その後、昭和40年に講談社を中心として財団法人吉川英治国民文化振興会が設立され、毎日新聞社に対し、≪吉川英治賞≫の譲渡を申し入れます。
≪吉川英治賞≫をより大きく発展させたいとする振興会側の意志を受け、その意義を認めた毎日新聞社が賞と基金を振興会へ引き継ぐことを承認します。

かくして昭和41年に≪吉川英治賞≫は振興会に移管され、翌42年、新たに≪吉川英治文学賞≫≪吉川英治文化賞≫の二賞として再スタートします。

この新生≪吉川英治文学賞≫の第1回受賞者は、松本清張氏でした(「昭和史発掘」「花氷」「逃亡」ならびに幅広い作家活動に対して)。

もう40年以上前のことでもあり、こうした経緯があったことが忘れられてしまい、マスメディアの方々も混乱されたのでしょう。

まぎれもなく、須知徳平氏は記念すべき≪吉川英治賞≫の最初の受賞者なのです。

ご冥福をお祈りいたします。

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