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2009年4月26日 (日)

宮本武蔵紀行絵巻

ということで、企画展「旅の吉川英治」の展示品をいくつかご紹介していこうと思います。

まずは表題の「宮本武蔵紀行絵巻」。
厳密にはタイトルのついていない資料なので、私が勝手に名付けたものですが。

数年前、吉川家にあった未整理資料を確認していたところ、巻子が見つかりました。
開いてみると、山海の風景画に吉川英治の賛が加えられたものでした。

そこに付された地名を見て、ピンと来るものがありました。

英治は、昭和12年1月に、「宮本武蔵」の取材として、九州を旅行しています。
そのことは、「随筆宮本武蔵」に「遺跡紀行」として収録された文章からわかるのですが、それだけでは、旅の詳しい足跡が確認できません。
あいにく、英治は日記を書かない人なので、細かい道程などを確認できる一次資料がないのです。

ただ、この旅には、友人で画家の野口駿尾という人物が同行していました。
この人物が、雑誌『書と詩画』昭和12年4月号に「鎮西の旅――「好日の旅」」という文章を寄せていて、これがこの旅について日記風に記述したものでした。
これによって、どのような旅だったのかが、わかります。

自宅のある東京を出発したのが1月9日。
鉄道の燕号に乗って大阪まで行き、宿泊。
翌10日、宿で「宮本武蔵」の原稿を書いた後、夜、神戸から別府行きの船に乗って船中泊。
11日は、船が高浜あたりまで着たところで起床し朝風呂。船は午後に別府到着。
この日から14日まで別府に滞在。
滞在中は「宮本武蔵」の原稿を書こうとするものの、吉川英治の来訪を聞きつけた代議士や市長などの訪問者や電話がひっきりなしのため、野口と別れて英治は別の旅館に移って、執筆に精を出すという事態に見舞われています。
14日の正午に別府駅から熊本直行の汽車に乗り、午後熊本着。17日まで熊本に滞在します。
この間に、熊本市の観光課長らの案内で千葉城址・霊巌洞・武蔵塚・泰勝寺を見学しています。
17日早朝に熊本発ち、門司へ移動し、朝日新聞社の人々の案内で風師山へ行き巌流島を見下ろし、延命寺山で武蔵碑を見て、下関に渡り、下関から寝台急行に乗車。
翌18日、大阪駅で野口と別れ、英治はそのまま東京に戻ります。

さて、巻子には、ここに出てくる高浜や別府の地名があり、そこからこの旅を描いた絵巻であろうと推定したわけです。

この巻子には画家の署名・落款はないのですが、英治の画風とは思われず、また、旅の経緯からしておそらく野口のものと考えています。
ただ、絵に対する英治の賛は途中までしかないので、野口と合作しようとして、多忙のため中断し、そのままになってしまったものではないかと推測しています。

ちなみに、後に同じ仕立ての巻子がもう1点見つかり、調べたところ、白紙の巻子の末尾に野口を讃える英治による漢文が途中まで書かれていました。
こちらも野口との合作を企図したものだったのかもしれません。

どちらも未完成なのが残念です。

なお、野口の文章では1月10日、朝から野口の≪舎兄≫がやって来て、神戸から船に乗る前に食べた晩餐に同席したという事が書かれています。
野口駿尾は男3人女1人の兄弟の次男ですので、≪舎兄≫とは長男の野口遵ということになりそうです。
野口遵は、ご存知の方はよくご存知な実業家で、日本窒素肥料(現チッソ)、日本ベンベルグ絹糸(現旭化成)の創業者です。

ちょっと意外な縁です。

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