« 向島百花園と吉川英治――その5 | トップページ | 食卓と詩歌――その2 »

2009年5月10日 (日)

食卓と詩歌――その1

日本現代詩歌文学館から2009年度常設展「食卓と詩歌」の図録が送られてきました。

吉川英治とは友人だった川上三太郎の作品も紹介されているので、この際、アイデアを頂戴して、吉川英治(雉子郎)の食にまつわる川柳・詩歌を列挙してみようと思います。

まずは家庭・家族の食を詠んだもの。

おふくろの留守おもしろい飯をたべ

母親のいないうちに、好きなものばかり食べるとか、そういうことでしょうか。
あるいは、普段は食べられないちょっと高めの店屋物をとるとか。

また父の話お膳が片づかず

昔の家庭ではよくあったことでしょう。
父親不在の夕食が珍しくもない現在では、もう見られないことかもしれません。

茶箪笥をおそく帰って調べてる

昔は、よく茶箪笥の上の引き戸の所に、おやつやら、おしんこやら、お茶うけにするようなちょっとした食品が入っていましたよね。
私は映画などでしか見たことがありませんが。
「茶箪笥」を「冷蔵庫」にすれば、今でも通用しそうです。

みんなして茶漬をたべて今日は暮れ

そんなものしか食べるものもない、することもない、そんな貧困を詠んだものでしょう。

めし茶碗手にふと冬の朝寒み
母なきのちのながくもあるかな

吉川英治が母を亡くしたのは29歳の時。
その後、作家として成功をおさめたものの、その姿を母に見せることが出来ないという寂しさは、常に心のどこかにあったようです。
そんな想いが、ふとこぼれだしてきた瞬間でしょう。

一人喰う膳にぽつんと紅生姜

この≪一人≫は、一人暮らしでしょうか。
家族のいない寂寥感が感じられます。

次に、子供がらみのものを。

銭湯で子にたわいないアイスを見

銭湯に馴染んでいる世代の人にはよく目にした光景でしょうが、この句自体は大正初期のもの。
既にアイスがそんなに普及していたんですね。

子のたべる駄菓子を喰べて見たくなり

大正10年頃のものなので、駄菓子といっても、私が思い浮かべるものとは随分違うでしょうが、大人になっても、たまに懐かしさから駄菓子を食べてみたくなる時はありますね。

意味のつかみにくいものを2句。

稲妻や白き茶わんに白き飯
鰒食って寝た夢の国面白や

最後の句は、たまに高価なものを食べて、金持ちになったような夢を見た、とでもいうことでしょうか。

|

« 向島百花園と吉川英治――その5 | トップページ | 食卓と詩歌――その2 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 向島百花園と吉川英治――その5 | トップページ | 食卓と詩歌――その2 »