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2009年5月12日 (火)

食卓と詩歌――その2

引き続き、食にまつわる川柳・詩歌を。

食に絡め、自省的なものを感じさせるものをいくつか。

生きてゐる証拠に飯を食ってゐる
飯が旨いに止まれり俺の秋
此の先を考へてゐる豆のめし

これは「この先を考へてゐる豆のつる」という句の原型と考えられるもの。
「つる」にすると、どちらに伸びていくかを考えているような豆のつるの姿に自分を投影した感じになりますが、「めし」にすると食卓で、ふと考え込んでいるような姿を思い浮かべます。

今朝も又一字も書けず納豆汁

これは作家になってからのもの。
ちなみに、納豆汁は吉川英治の好物でした。

あめつちのふしぎありがたし飯ありぬ

一方、社会性・時代性を感じさせるものも。

自由画の茶碗で子供飯をたべ

伝統的な絵柄の茶碗が見捨てられ、新しい時代だかなんだか知らないが、ヘンな茶碗を使って…というようなことでしょうか。
戦後の句のようにも感じますが、大正11年の句です。

カリントウ放たず凍死せる棄児

貧しさゆえにか、我が子を捨てざるを得なかった親が、せめてもと与えたカリントウを、ぎゅうっと握り締めたまま凍死している子供。
切ない姿ですね。

労働者喰らへど食へど腹がへり
洋妾のつらさを聞けば飯の時

「洋妾」には「らしゃめん」とルビがあります。
外国人男性の囲われ者になり、贅沢な食事が出来るようになったが、洋食ばかりで辟易する、ということでしょうか。

朝顔やけふも戦ぞ飯拝む

これはいかにも戦時下の句。
果たして、何を願って拝むのでしょうか。

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