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2009年6月 2日 (火)

井伊直弼の首は落ちたか――その2

さて、お送りいただいた研究の中に、興味深い事件が紹介されていました。

昭和10年に発生した≪天照義団事件≫です。
「横浜貿易新報」昭和10年3月5日号に、事件の顛末が記事になっているとのことで、それをまとめると、以下のようになります。

横浜に本拠を置く天照義団という右翼団体が、井伊直弼を「違勅の不忠義者で、安政の大獄の張本人」として、横浜市に対して掃頭山の井伊直弼銅像の撤去を要求したが、受け入れられなかったため、自分たちで井伊直弼の銅像の首を切り落として破壊しようと企てた。
わざわざ桜田門外の変の発生した3月2日を選んで決行しようとしたものの、トラック2台に梯子やロープを積んで掃頭山に向かおうとしているところを、警察に取り押さえられ、未遂に終った。

この事件には、吉川英治が語る≪井伊直弼銅像首切り事件≫と共通する要素があります。

吉川英治は「歴史上の人物あれこれ」で、事件の後日談として

京浜国道をトラックに銅像の首を乗せて運ぶところを、捕ったという別の記事を、それは何年も後ですが見たことを憶えている。

と語っています。
つまり、「トラックが捕まった」というところが同じです。

明治42年からすると、昭和10年は実に26年後ではありますが、「何年も後に記事を見た」という言葉とも符合するように思えます。

吉川英治は、この記事を見たのでしょうか。
しかし、記事を見たのなら、事件が未遂で終ったことはわかりそうなものです。

吉川英治が≪井伊直弼銅像首切り事件≫のことを言い出したのは、歴史の時代の画期と人の心情とは一致しない、現に、明治時代も終わりになろうという時期になっても、井伊直弼への反感は消えず、こんな事件が起こってしまった、という文脈の中でです。
言わんとすることに実にピッタリと当てはまる事件であったわけですが、実は、随筆「歴史上の人物あれこれ」の記述を注意深く見ると、吉川英治自身は首の無い井伊直弼像を見たとは言っていません。
また、吉川英治は銅像除幕式の翌年、明治43年の暮れに横浜を離れて東京へ移り住んでいます。

本当に事件は起ったのでしょうか?

事件はなかったとして、以下のように想像をめぐらせてみました。

当時、井伊直弼に反感を持つ者たちが銅像を破壊しようと画策しているという噂が横浜で流れていた。
その頃、英治は横浜ドックで港湾労働者の一人として働いていたが、労働者仲間の雑駁な会話の中で、「掃部頭の首が切られたってよ」などと英治に吹き込んだ者がいた。
生活のために身を粉にしていた英治には、自身の目でそれをわざわざ確認しに行くような酔狂なことをする暇もない。
その後、ドックでの転落事故を契機に横浜を離れるまで、ついにそのままになってしまった。
後に作家となってから、「天照義団」事件のことを知り、「ああ、そういえば…」と昔ドックで聞いた噂話を思い出し、それを信じ込んでしまった。

いかがでしょうか。
ありえるような気もしますし、まさかという気もします。

いずれにせよ、何かが“あった”ことを証明するには証拠は一つあれば足りますが、何かが“なかった”ことを証明するには、あらゆる角度からありったけの資料をチェックする必要があります。

その意味で充分に調査をしてから、自分なりに結論をと思っていたのですが、最近、横浜開港150年にまつわる報道も増えてきたので、あえて、この段階で文章にした次第です。

なお、事件のことをご指摘くださった郷土史家の方の研究成果は神奈川県立図書館が発行している「郷土神奈川」という冊子で読むことができますので、ご興味のある方はご参照ください。

「郷土神奈川 第47号」(平成21年2月発行)
『横浜掃頭山公園 井伊直弼銅像建立をめぐる紛争と事件の顛末』(田村泰治)

また、横着なことを言ってお恥ずかしいのですが、何かご存知の方はご指摘いただけると助かります。
よろしくお願いいたします。

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