« 写真コンテスト上位入賞作品 | トップページ | 夫婦―2 »

2009年7月 7日 (火)

夫婦―1

企画展「書簡に見る吉川英治の交遊」ですが、予定通り、本日から展示資料が替わっています。
ラインナップはこちらをご参照ください。

展示替えした資料を、引き続きご紹介していきます。

まずは吉川英治宛の長谷川時雨の書簡(昭和10年8月4日付)と三上於菟吉の書簡(昭和18年2月7日付)です。

長谷川時雨は「近代美人伝」などで知られる作家で、書簡は、英治に自著「草魚」を贈ったところ丁寧な礼状が来たので、それに対しての返書。
一方、三上於菟吉は「雪之丞変化」などで知られる作家で、英治の体調不良の見舞いとともに、一度自宅を訪ねてくれるように頼んでいる内容の書簡となっています。

この2通を一緒にご紹介するのは、もちろん、この2人が夫婦だからです。

明治12年生まれの時雨と明治24年生まれの三上では、時雨の方が一回り上の姉さん女房ということになるわけですが、時雨は同じ作家として三上を尊敬し、よく尽くしました。

しかし、奔放な三上には、それがかえって重かったのか、愛人をつくり、愛人宅と自宅の二重生活を送り始めます。

両者と親しかった英治は、昭和10年に書いた「女」という、少々長い随筆の中で、2人のことに触れ、

よけいなおせっかいであるが、三上於菟吉はもうすこし時雨女史にやさしく(この言葉は中らない、しばらく仮用)あってもよいと思う。(略)三上は女を悪魔的に見ることを以て自己の文学を掘りさげてみようとした一頃があったし、お坊ちゃんどおりな世間の幅と哲学をもって女を律してゆこうという吾儘男だから、時雨女史のありがたさなどはわからないらしいが、実生活というもののうえでは、なかなかめったに見出せない女性の一人だということは、あながち僕だけの評ではないらしく、君の知己からも聞くことである。(後略)

と苦言を呈しています。

同じ文章の中での時雨に対する評は

かなり多い女流作家のうちでも、起居清楚に文学と家事とをみださないでいるだけでも稀な女性のほうだと思う。古い教養美といってしまうかも知れないが、たしなみというものや雅致と生活との調和をよくすることなどにおいてああいう女性は将来にも少ないだろう。

と、絶賛に近いものです。

英治が、他人の女性関係、夫婦関係について、具体的な評価を下している文章はほとんどありません。
それだけ、時雨を認めていたのでしょう。

ちなみに、昭和16年に時雨が亡くなった際、その葬儀で友人代表として弔辞を読んだのは英治でした。
その中で時雨の「近代美人伝」を引き合いに出して、時雨こそその「近代美人伝」に描かれてよい人だったと評したことは、時雨を知る人の多くから大いにうなずかれたことでした。

長くなったので、以下明日。

|

« 写真コンテスト上位入賞作品 | トップページ | 夫婦―2 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 写真コンテスト上位入賞作品 | トップページ | 夫婦―2 »