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2009年7月25日 (土)

志賀直哉

企画展『書簡に見る吉川英治の交遊』ですが、先日も書いた通り、書簡に宛名や発信者として登場する人物と吉川英治が一緒に写っている写真もパネルにして展示しています。

その中の一枚が、昭和27年1月28日に、伊豆の今井荘という旅館の前で撮られたもの。
先日名を挙げた石坂洋次郎と写っているものです。

この写真に一緒に写っているのが、杉本健吉と志賀直哉です。
志賀直哉については、以前にも触れたことがあるのですが、再度詳しく触れてみます。

志賀直哉の作家人生と吉川英治の作家人生にはほとんど接点はありませんでした。
姿を見かけたことはあったかもしれませんが、初めて話をしたのはこの写真の前年のこと。

昭和26年、8月1日から軽井沢に来ていた志賀が、8月31日に翌年から借りることになっている別荘の下見に行こうとしたところ、朝日新聞社の嘉治隆一が吉川英治の自動車を使わせてもらってはどうかと勧めます。
吉川とは話したことがないからと遠慮する志賀ですが、結局、自動車を借りることになりました。

吉川英治は戦前から『朝日新聞』『週刊朝日』にはたびたび連載を持っており、嘉治隆一とは懇意でした。
ちょうどこの時も、『週刊朝日』に「新・平家物語」を連載していました。

この嘉治の引き合わせで、二人は初めて言葉を交わしたわけです。

この後、志賀は9月21日まで軽井沢に滞在しますが、その間、何度か英治の自動車を借りています。

これで縁が出来た二人は、翌27年1月27日~30日に英治の「新・平家物語」取材旅行に、志賀が同行するという形で、一緒に旅をします。
これが上のリンク先の話であり、今回展示している写真の背景ということになります。

ただ、密な交流はこの程度で、この他に確認できるのは昭和28年5月3日に熱海市がPRのために発行した『熱海』という冊子に掲載するための座談会に同席した(他には広津和郎らがいた)ことと、昭和32年3月15日に嘉治隆一の招待による食事会に同席した(他に梅原龍三郎、升田幸三ら)ことぐらいしか確認できていません。

そんな志賀直哉のことを、英治はこう書いています(「志賀直哉氏小感」:『文芸臨時増刊 現代文豪読本7 志賀直哉』昭和30年)。

直哉、白鳥、荷風、潤一郎、こう四人を私は文壇の大人であるとおもっている。(略)自分の生きた世代にこの四人の大人も居合せたというだけにも、いろんな矛盾や悲惨の多い今日だが、その今日の世代がいくぶんでも意味ありそうに思えたり、愉しめたりするのであった。

残念ながら、志賀直哉からの書簡などは所蔵していないため、写真だけの登場となりましたが、志賀の名の出てくる書簡は1通所蔵しています(今回は展示していません)。
編集者を介して志賀から「新・平家物語」について質問があり、それについてその編集者に回答したものです(昭和28年11月4日消印)。

これが直接の書簡のやりとりであれば、それが後に残って、面白い資料となったはずなのですが、残念です。

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