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2009年7月 8日 (水)

夫婦―2

さて、昨日触れた「女」という随筆で、こんなことも書いています。

時雨女史が婦人倶楽部の一人一話のうちに、風に傷んだ柳の枝に杖のつかえを結びつけながら、主人の手頸の傷も今のうちに手術をしなければいけないのにと、独り居の愁思をもらしている辺りの小文はなかなかよその良人を羨望させるに足るものがある(略)秋宵の一盞を苦く飲んでも、稀には庭の柳の枝が折れないでいるのをおもいたまえ。

「主人の手頸の傷」とは、この随筆の書かれた昭和10年に三上於菟吉が、自動車のドアに腕を挟んで、右手首を負傷したことを指しています。
ところが手術が怖かったのか、入院先の病院から脱走した三上は、愛人とともに行方をくらまし、半年以上も妻である長谷川時雨に連絡も寄こさない、という状態になります。

この随筆はそんな時期のもの(『文藝春秋』昭和10年10月号所収)で、夫を案じる時雨を、英治は思いやっているわけです。
昨日触れたように時雨の書簡は『英治に自著「草魚」を贈ったところ丁寧な礼状が来たので、それに対しての返書』であるわけですが、英治の礼状というのは、おそらくそうした状況の時雨を気遣ったものであったのでしょう。
それ故に、時雨も改めて返書を書いたのではないでしょうか。

そんな三上ですが、悪いことは続くもので、昭和11年には愛人宅で血栓症のため昏睡状態となり、一命はとりとめたものの、右半身が不自由になってしまいます。
これによって満足に執筆できなくなってしまった三上は、文壇から次第に遠ざかります。
昭和16年に時雨に先立たれてからは、なおさらだったでしょう。

今回展示している三上の書簡は昭和18年のもの。
時雨没後のものです。

書簡では、英治に対し、君が身体を悪くして、しかもそれが既に快癒していると聞いて、驚きと喜びが相半ばしている、と書いていますが、そうした文壇情報がリアルタイムには入ってこないような境遇にいるということを、はからずも示しています。
そして、もしご寸暇があれば、今日明日とは言わないので、いつでもご来訪下さい、という言葉に、かつては英治をもしのぐ大人気作家であったのに、今はまるで蚊帳の外になってしまっていることへの焦燥感や孤独感がにじみ出ているように感じます。

書簡では、右手右足は相変わらず不自由だが、まあ健康な方だ、と書いていますが、手紙の文字はかなり乱雑で、不自由な右手で書いたのか、あるいは左手で書いたのだろうかと、考え込んでしまいます。

この書簡のほぼ1年後、昭和19年2月に三上於菟吉は亡くなります。
53歳の若さでした。

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