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2009年7月19日 (日)

死刑廃止

企画展「書簡に見る吉川英治の交遊」の第二部も明日までとなりました。

第二部で展示している書簡のご紹介をあまりしていない気がしますが、最後に吉川英治宛の大岡昇平の書簡(昭和36年6月11日付)に触れておきます。

その書簡の内容は、大岡が関与していた小松川事件裁判の弁護士費用を援助して欲しいと依頼しているもの。

小松川事件は、昭和33年に発生した女子高生殺人事件。
犯人は当時18歳の在日朝鮮人で、犯行後、マスコミに犯行内容を伝える電話をしたり、この事件以前に犯していたもう1件の女性殺人事件の内容を小説にして懸賞に応募するなどの行動から、社会の関心を集めた事件だったようです。
事件当時18歳でありながら、一般の裁判にかけられ、死刑判決が下され、昭和37年に刑が執行されています。

大岡は、犯人の助命運動に関わっていました。

裁判が結審するのはこの書簡の約2ヵ月後の8月17日。

書簡には、判決が秋頃になるかもしれないので、その前に弁護士に一度いくばくかの金を渡したいが、今のところまだ不足である旨が書かれています。

この書簡に対する返書ではありませんが、「わたしの吉川英治――その書簡と追憶」(文藝春秋新社 昭和38年2月5日)に、この年の8月23日付け、つまり判決後に吉川英治が大岡昇平にあてた書簡が収録されています。

「小生の微志の件など あれはもう余りお気にしていただかないように」という一節がありますので、英治が資金援助をしたことがわかります。
収録された書簡に付された大岡昇平の文章によれば、これは吉川英治からの援助が多額で判決によって運動が終了した時点でも残金があったので、その処理を自分に一任してもらえないかと尋ねたことへの回答であったようです。

英治は、死刑判決について「やはりああきまるしかなかった気もします」と書きつつ、「大きな隣人愛とか生命愛などの意義の上でも大兄や旗田氏らのささやかな運動も決してむなしくはなかったとおもいます」と気遣っています。

実は、英治は法学者の正木亮による死刑廃止運動に賛同し、正木が設立した≪刑罰と社会改良の会≫にも名を連ねていました。

どんな人間でも完全な悪人はいない、という英治の人間観からは、当然なあり方に思えます。

英治は、会が発行する雑誌『社会改良』の創刊号に「痴人の言」という文章を寄せています。

保元の乱の際、敗れた源為義を死罪にするか否かを論じ、「人一殺をなせば、百殺を次に生じて、百殺もなお足らず」として死罪に反対した中院雅定と、それを非現実だと一蹴した信西の話を書き、随筆の末尾でこう書いています。

私もおそらく中院雅定とおなじように、今日を知らないものかもしれない。きっと、現代の少納言信西は、その非現実性を挙げて、あわれむべき痴人の言と、どこかで嘲笑していることだろう。

死刑廃止の道の険しさを暗示する文章だと言えるでしょう。

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