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2009年7月 2日 (木)

井上信子を励ます会

『書簡に見る吉川英治の交遊』というのが、今回の企画展のタイトルですが、書簡類ばかりでは単調になるので、書簡に宛名や発信者として登場する人物と吉川英治が一緒に写っている写真もパネルにして展示しています。
もちろん、そうした写真を通じても、吉川英治がどういう人物たちと交流したかを知ってもらおうという魂胆です。

さて、昨日触れた川上三太郎と一緒に写っている写真は、複数あるのですが、どれにしようかと考えた末、昭和10年12月26日の≪井上信子を励ます会≫で撮られた記念写真を選びました。

井上信子は、≪川柳中興の祖≫とも呼ばれる井上剣花坊の夫人であり、自身も川柳家として活動しました。
特に、剣花坊没後は、その遺志を継ぐように、川柳界を支える一人として、戦中戦後の厳しい時代を生きました。

昭和9年に剣花坊を亡くし、川柳界の混乱や対立の中で苦労する信子を主賓として開催されたのが≪井上信子を励ます会≫でした。

吉川英治は、10代の終わりから20代にかけての川柳家≪雉子郎≫時代、剣花坊に師事しており、その夫人である信子に対して母親に対するような愛慕の念を抱いていました。
そんなことから、英治はこの会に出席しています。

川上三太郎も、やはり剣花坊門下であり、そのためここに同席しています。

この写真には、それ以外にも様々な人物が写っています。

そもそもこの会を企画したのは、作家の平林たい子であり、やはり作家の長谷川時雨が協力しています。
出席者には川柳家の小池蛇太郎や前田雀郎らはもちろんとして、評論家の生方敏郎、作家の竹森一男も含まれています。

そうしたバラエティに富んだ顔ぶれと、剣花坊―信子夫妻を通じる形で、英治も知遇を得ていたわけです。

また、この写真には鶴彬も写っています。

「手と足をもいだ丸太にしてかへし」などの厳しい反戦川柳を作り、ために特高警察に逮捕され、赤痢で獄中死することになった鶴彬は、人によっては英治とは対極というふうに見なす場合もあるでしょう。
しかし、剣花坊を介せば、英治にとっていわば弟弟子という形になります。

そんな関係をちょっと紹介してみたくて、この写真を選びました。

ちなみに、鶴彬が検挙されるのは、この会のおよそ2年後、獄中で赤痢に罹り、死亡するのはそのおよそ9ヵ月後です。
残念ながら、それについて吉川英治がどう思ったかは、文章も何も残っていません。

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