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2009年8月26日 (水)

“よそゆき”の親

今回の企画展「子供と吉川英治」では、父親としての吉川英治の我が子への対し方と、作家としての吉川英治の子供や若者への対し方を、両方取り上げています。

その父親としての吉川英治という面で、主に参照したのは、吉川英治の長男で当館の館長である吉川英明の「父 吉川英治」という著書です。

そこで印象に残った言葉を少しご紹介してみます。

吉川英治には、この英明とその弟の英穂という二人の息子がいました。

この二人に対しては、非常に厳しく接しており、例えば、兄弟ゲンカの絶えない二人を、家の大黒柱に縛り付けて一日放置したり、庭に引きずり出して棒切れを投げ渡し、「そんなにケンカが好きならそれでぶっ倒れるまでなぐり合え!」と叱りつけるなど、乱暴な面もありました。
また、息子たちの中学進学に際しては、少し世間を知って苦労をしろと、他家に下宿させ、そこから中学に通わせたりもしています。

「父 吉川英治」には、こんな一文があります。

私が生まれる前から父と親しかった講談社の星野さんは、
「いやあ、英明さん、あなたが生れた時の先生の顔。あんなにうれしそうな笑い顔は見たことがなかったですねえ」と、よく述懐される。
しかし、小学生時代の私には、父が私に、そんなとろけるような笑顔を向けてくれた記憶はついにない。
とすると、あのころ、私達の顔さえ見れば叱りつけていたあの厳しい表情は、父の私達に対する“よそゆき”の顔だったのだろうか。
自分の子供を持った今、あれほどきびしい叱り方の出来ない自分をみるにつけ、ふとそんな事を思う。
“よそゆき”の顔をつくり、私達をどなったり頬を打ったりするには、父なりに努力も必要だったろうと、親の身になってみて、父の心根を思いやったりもする。
どなられ、なぐられた時の父の顔が今は懐かしい。

「子を持って知る親の心」と言いますが、子を持たない私にも、何となく分かる気がします。

吉川英治の「わが父の記」という随筆に、ある人から聞いた話として、ある大学教授の父親としての態度が紹介されています。
それは、子供が自分を、お父さん、お父さん、と言っている間は厳父で通すが、子供たちが大きくなりだして、陰でおやじ、おやじ、と言う頃になったら、やわらかに接し、何でも打ちあけられるような友人的態度をもつように心がけている、というものでした。

英治はそれを、含蓄のある言葉と聞いた、と書いています。

「わが父の記」は雑誌『現代』昭和17年8月号に掲載されたもの。
長男四歳、次男二歳、そしてこの年の正月に長女が生れた、そんな時に書かれたものです。

さらに、「わが父の記」の最後に、英治の父性愛についての考えが書かれています。

――父の大愛は、自分の愛までを犠牲にした愛。

明治に生れ、昭和を生きた人の考えですから、現代の父親像とは大きく異なるでしょうが、これが英治が実践しようとした父親としての愛の形であり、それは確かに息子に伝わっているのだと、「父 吉川英治」を読んで感じたのでした。

ただ、英治は長男・英明が24歳の時に亡くなっており、その意味では、さあ、これから≪友人的態度≫に転じようか、というところで世を去ってしまったわけで、さぞや心残りであったろうと、父子双方に対して、そう思わずにいられません。


今年の英治忌は9月6日(日)です。

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