« 「宇江佐真理さんをかこむひととき」募集開始 | トップページ | カンタンと英治忌 »

2009年8月 6日 (木)

吉田・吉川・白川

企画展「書簡に見る吉川英治の交遊」は終了しましたが、書簡がらみの話を。

書店で「吉田初三郎の鳥瞰図を読む」(堀田典裕 河出書房新社 2009年7月30日)という本が目についたので購入しました。

吉田初三郎と言えば、タイトルにもあるように、極端にデフォルメされた独特の鳥瞰図で知られる画家です。
吉川英治より8歳年長の明治17年生れ。昭和30年没。

実は、以前に吉田初三郎について調べている方から、初三郎と英治には交流があったようだが、それを示す書簡などは残っていないだろうか、というようなお尋ねをいただいたことがありました。

残念ながら、初三郎からの書簡も英治から初三郎への書簡も当館には所蔵がなく、そうお答えする他なかったのですが、それ以来、初三郎のことは頭においていました。

その後、「吉川英治文庫140 書簡集」の中に≪吉田初三郎≫の名前が出てきていることに気がつきました。

その名は二通の書簡に登場しますが、いずれも英治から白川初太郎に宛てたものです。

白川は医師で、戦時中は軍医大佐。
英治より9歳下の明治34年生れ。
英治が昭和12年に東京日日新聞の特派員として北支従軍した際に知り合って、以後長く交流がありました。
東京生れですが、戦後は飛騨高山で開業しています。

その白川への昭和24年11月9日付の書簡と昭和26年8月29日付の書簡に初三郎の名がありました。

昭和24年の方の注には、「三人で乗鞍登山の約があった」とあります。
残念ながらその根拠が不明ですが、白川の証言によるものでしょうか。

昭和26年の方には、「先頃は又 せっかく吉田画伯と共に御誘い給わり乍ら 今夏も宿題の一遊かなわず」との文面があります。

この時期たびたび白川から、初三郎と三人でどこかに行こう、という誘いがあったことがうかがえます。

ということは、英治と初三郎を結びつけたのは白川なのでしょうか。

上記の本は主体が作品の分析で、簡単な伝記しか掲載されていないため、英治の名も白川の名も見出せませんでした。

ちなみに、やはり今年刊行された「美しき九州 「大正広重」吉田初三郎の世界」(益田啓一郎編 海鳥社 2009年2月10日)に掲載された年譜には昭和26年の項に

この頃、作家・吉川英治と手紙で二度、登山の約束をするも、初三郎の病気が重く実現せず

とあります。
上記の書簡に基づく記述でしょうか。

唐突にここにだけ英治の名が登場していて、その関係性については、やはりはっきりしません。

|

« 「宇江佐真理さんをかこむひととき」募集開始 | トップページ | カンタンと英治忌 »

コメント

「美しき九州 「大正広重」吉田初三郎の世界」をまとめた益田です。
ブログ拝見して書き込みします。
吉川英治と吉田初三郎の記述は、ご指摘の通り私自身がそちらへ尋ねたものです。初三郎のご遺族のもとに遺されていた住所録に吉川英治の名を見つけて、連絡させてもらいました。

その後、初三郎と吉川英治の具体的な交流について情報は入っていませんが、初三郎自身は吉川英治以外にも数多くの作家・文化人と交流があり、それら相関図を現在まとめている最中です。その過程で何か判ったことがありましたら、連絡させていただきます。
益田啓一郎
http://blog.goo.ne.jp/mapfan01/

投稿: 益田啓一郎 | 2009年8月21日 (金) 00時43分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「宇江佐真理さんをかこむひととき」募集開始 | トップページ | カンタンと英治忌 »