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2009年10月 2日 (金)

観智院の宮本武蔵

9月の終わりに遅い夏休みをとって京都に行きました。

たまたま東寺の観智院が特別公開されているというポスターが目についたので、予定になかったのですが、立ち寄ってみました。

というのも、この観智院には宮本武蔵が描いたとされる障壁画があるからです。

実は、30数年前、小学生の時に一度、観智院を見学して、武蔵の障壁画も目にしているのですが、その時はまさか大人になって武蔵の評価を高めた小説の作者の記念館で働くことになるとは想像もしていませんでしたから、「へぇ」と思っただけでした。
そこで、改めてちゃんと観てみようと思ったわけです。

建物の中に入ると、ちょうど解説員の方が説明をなさっているところでした。

国宝となっている観智院客殿の上段の間の床に描かれた「鷲の図」と襖に描かれた「竹林の図」が、武蔵の絵だとされています。

説明では、吉岡一門との闘いを終えた武蔵が、3年間、この観智院に身を潜め、その間にこれらの絵を描いた、とのことでした。

観智院客殿は慶長10年(1605)に再建されたものとのことですが、武蔵が吉岡一門と、蓮台寺野・蓮華王院・一乗寺で死闘を繰り広げたのは慶長9年(1604)とされているので、3年の滞在は長すぎる気はしますが、年代的なつじつまは合います。

説明には出てきませんでしたが、「芸術家 宮本武蔵」(宮元健次 2003年 人文書院)によると、同じ客殿の対面の間の襖と帳台貼り付けの「楼閣山水図」は、武蔵の絵の師とも目される海北友松の筆になるものだそうです。
そう聞くと、師弟が並んで絵を描いている姿が、頭に浮かびます。

状況的には、武蔵の絵であってもおかしくはないわけですが、実物はどうでしょう。

30数年ぶりに絵の前に立って、かつての記憶が蘇りました。

「何が描いてあるのか、わからへん」というのが、あの時「鷲の図」に対して抱いた感想でした。
というのも、絵の損耗が激しく、不鮮明だからです。

今回まじまじと観て、鷲の頭がどこなのか、ようやくわかったような次第。

ただ、武蔵の絵とされるものには鳥を描いたものが多く、絵の専門家ではない私の目には、他の作品と大きくかけ離れるものではないように思えました。

ただ、襖絵の「竹林の図」に関しては、どうなのか、という気がしました。

この「竹林の図」に描かれた竹は、節の部分を太く強調した、現実離れしたものになっているのですが、私は武蔵の絵に関してはリアルな作風であると感じているので、その点がしっくりこないのです。

これはあくまでも素人の感想です。
観智院の秋の特別公開は11月までやっているようなので、気になった方はご自身の目で確かめてみて下さい。

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