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2009年11月19日 (木)

川合玉堂と吉川英治

先日行った文学散歩では、玉堂美術館で小澤萬里子館長に解説をしていただきました。
小澤館長は川合玉堂の孫にあたる方です。

その解説の途中で、突然、吉川英治から川合玉堂に宛てた葉書が見つかったので差し上げます、と言って、葉書を1枚ご寄贈くださいました。

消印が薄くなっていてわかりにくいのですが、昭和21年9月20日のものと思われます。

何か依頼ごとでお使いで吉川英治の代わりに文子夫人が川合玉堂を訪ねた際に、玉堂が日課としていた近隣の山道の散策の際に摘んだ野の花と栗の句を書いたものを文子夫人に託したことへの礼状、といった内容になっています。

その葉書の末尾に、いままで未見の句が2句書き添えられていました。

画を拾ふ人にやあらむ露しとど
露しとど倦むこと知らぬ道の人

いずれも川合玉堂を詠んだ句のようです。

川合玉堂の没後、その追悼展を鑑賞して書いた「美翁玉堂さんをしのぶ――川合玉堂遺作展を見て――」(初出『毎日新聞』昭和33年10月4日)という文章があります。

その中で英治は

木も水も山も、奥多摩の自然は、すべてこの希世な画家から生まれてその土地にあるものみたいに、混然としていた。こんなにも環境と作画との一致をしめした画家は少ないであろう。

と川合玉堂を評しています。

その言葉からすると、「画を拾ふ人」というのは、自然と溶け合った画境にある川合玉堂にとって、絵を描くことは作為的な創作ではなく、そこにある美を拾い上げるようなものだ、というようなニュアンスであると、私には受け取れます。

一方、同じ文章で英治は、昭和28年に青梅から転居する挨拶のため玉堂宅を訪ねたところ、この年80歳になる玉堂が新たに画室を建てていることを知り、「なお新たに精進の仕事場を普請している気魄には私もほんとに頭が下った」と記しています。
まさに「倦むこと知らぬ道の人」です。

川合玉堂への深い敬意が感じられる2句です。

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