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2010年1月24日 (日)

萩散歩――剣花坊句碑巡り(4)

萩グランドホテルのある位置から北西の一帯が浜崎地区になりますが、そこに住吉神社があります。

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その門前に「新しい心になりぬ初日の出」の句碑があります。
背面に「平成十年五月吉日建立」と刻まれています。

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「小冊子」によると、この神社の神職を務める中津江家は剣花坊の妻・信子とは姻戚関係にあるとのこと。「蒼空の人 井上信子」(谷口絹枝 葉文館出版 平成10年)にはより具体的に、信子の姉・寿子の嫁ぎ先であると書かれています。
そんなことから剣花坊の自筆資料も保管されているということですが、さすがに、1月3日にいきなり訪ねて、それを見せてくれと言えるほど厚かましくはないので、もう一つ別のものを探してみます。

「小冊子」には「剣花坊が寄贈した記銘入りの玉垣が今も残っている」という一文がありました。

玉垣には「明治三十七年七月建之」と刻まれています。寄進者の中心は日清戦争によって日本が獲得して間もなくの台湾・台北在住の金子圭介という人物らしく、特別に大きく名が刻まれています。他に「取次人 杉原助右衛門」「世話人 落合相太郎/須子五郎」「石工 井町鶴松」といった名が見えます。

さて、他の寄進者の名が刻まれた支柱の一本一本を確認していくと……

ありました。

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鳥居に向かって右側の玉垣の鳥居側から数えて87本目に「東京 井上剣花坊」と刻まれています。
年譜によれば、剣花坊は明治33年に山口から本格的に東京に出て、曲折の後に入社した新聞「日本」で、編集長の古島一雄から勧められて川柳欄の選者となり、≪剣花坊≫の名を使うようになるのが明治36年のことになります。
川柳に関わる以前、記者や文筆家として用いていたペンネームは≪秋剣≫で、これは山口に住んでいた頃から使っていたものですが、そちらの名ではなく≪剣花坊≫として名を連ねているところに、剣花坊の川柳への意気込みが感じられるような気がします。

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