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2010年5月31日 (月)

飯田訪問――おまけ

今回は時間もなく、下準備もしていませんでしたので、結局、関連する場所のどこも訪ねなかったのですが、吉川英治は伊那谷を旅したことがあります。

記録によれば、昭和27年10月25日から11月2日にかけて、「新・平家物語」の取材のため木曽義仲の事跡を訪ねる旅を行っています。
旅に同行したのは挿絵を担当していた画家の杉本健吉と朝日新聞の関係者数名です。

その時、10月25日に新宿を出発して中央本線で辰野まで来て飯田線に乗り換え、市田駅で下車してそこから天竜川を船で下り、当時の竜江村、現在の飯田市龍江の天竜峡温泉に宿泊しています。
翌26日は、車で飯田から山を越えて木曽谷へ抜けています。

宿泊した天竜峡温泉では、竜江村の少女たちが伊那節踊りを披露して、吉川英治一行を歓迎してくれました。
吉川英治はそのお礼として、

伊那乙女ひとり貰うて帰りたや

という句を書いた色紙や半切を、少女たち一人一人に渡しました。

川本喜八郎人形美術館の方によると、天竜峡温泉のある旅館にその色紙が今でも飾られているとのこと。

結局1泊しかしていませんし、当時の行政区からすると飯田市はほぼ素通りしていることになるのですが、吉川英治がこの地に足跡を残したことは、確かです。

いずれ再訪したいと思っています。

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2010年5月30日 (日)

飯田訪問――その2

せっかく飯田を訪ねたので、りんご並木を見に行きました。

飯田市は、昭和22年の大火で町の多くを焼失しました。
そこからの復興の際に、そのシンボルとなったのがりんご並木です。

Img_4458

案内板にもあるように、そのりんご並木の手入れを長年続けてきたのが飯田東中学校です。
実は、そのことに対し吉川英治文化賞を差し上げています(昭和59年度 第18回)。

これがそのりんご並木です。

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りんご並木の合間には、岸田国士や飯田出身の日夏耿之介の碑があります。

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そのまま歩いて飯田東中学校の様子を見に行こうと思っていたのですが、川本喜八郎人形美術館で、つい長話をしてしまったため時間がなくなってしまい、そこまで足を運べませんでした。

残念。

ちなみに、こちらもご参照を。

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2010年5月29日 (土)

飯田訪問――その1

現在、企画展として「川本喜八郎人形展」を開催していますが、せっかくなので、この機会に飯田市川本喜八郎人形美術館を訪ねてみることにしました。

本来ならば、企画展の計画段階で見学に行っておくべきでしたが、遠いのと、同じ月曜日が定休日だと思い込んでいたので、ついそのままにしていました。
また、人形は川本先生のアトリエにあるものを拝借しましたので、人形美術館とは直接は関係がない、ということもあります。
ところが、人形展の打ち合わせで川本先生のお宅を訪ねた際に、人形美術館は現在は水曜日が定休日になっていると伺い、それならばと、重い腰を上げた次第。

飯田市は、私が見た範囲では、あまり大きな建物のない、こぢんまりと落着いた感じの良い街並みでした。
その市街地の中心部に川本喜八郎人形美術館がありました。飯田駅からでも徒歩10数分、バスセンターからならば数分の場所です。

Img_4449

展示は、さすがにすばらしい。
私が急遽取り付けた仮設の照明でライティングしている当館の企画展の展示とは、人形の表情の奥行きが違います。

ライティングによる印象とは別に、人形の顔そのものが、当館にあるものとは微妙に違います。年齢や設定によって顔が違うという部分もあるでしょうが、やはり、製作時の心理状態も影響するのでしょう。
そのあたりも興味深く感じました。

現在展示されている人形は「平家物語」6割、「三国志」3割、その他1割といったところですが、その一番頭に吉川英治が創作した人物である麻鳥と蓬子の夫婦が置かれていて、ちょっと恐縮してしまいました。

その他の部分に展示されていた李白は、展示替えの時期にちょうど来日していたロシアのアニメーション作家ユーリ・ノルシュテインが、ポージングしたものだとか(10月11日の記事参照)。

これが、実に良い感じで、一番印象に残りました。

と言うと怒られるかな(苦笑)

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2010年5月28日 (金)

城山三郎展――昭和の旅人――

表記の展覧会が神奈川近代文学館で6月6日まで開催されています。
あと1週間ほどの会期なのでいまさらですが。

都合がつかず、見学に行っていませんが、そこに吉川英治から城山三郎に宛てた書簡が展示されているはずです。
先日神奈川からご寄贈いただいた図録にも掲載されています。

城山三郎は、昭和34年に「総会屋錦城」で直木賞を受賞していますが、吉川英治も選考委員の一人でした。
おそらく、受賞後に感謝の手紙を城山三郎から受け取った吉川英治が送った返書と思われます(書簡の冒頭が「拝ふく」なので)。

おそらく、と書いたのは、それに対応する城山三郎の吉川英治宛書簡を所蔵していないからです。
吉川家から移管を受けた書簡類の中には含まれていませんでした。

この書簡自体も、過去に出版された吉川英治の書簡集に掲載されていないものです。

図録の写真から内容を読んでみると、もちろん、受賞を祝うものになっています。
図録が注目したのは「委員みなが支持されたのです あなたのお力です(中略)これからも いやこれからの方が君 たいへんだよ」という思いやりのこもった作家の先輩としての一言ですが、私は、別の箇所が気になりました。

けれどおてがみによれば お父上もなほ御健在 まにあつてといふとへんだけれど 自分の父をおもひ合せてです よかつたなあ うらやましい

吉川英治は作家になる前に父親を亡くしています。
吉川英治にとって父親は愛憎半ばする相手ではありますが、作家として一定の評価を受けるようになった自分の姿を父親に見せたかったという思いはあったのでしょう。

たまたま城山三郎からの書簡に父親への言及があったからではあるでしょうが、やはり作家になる前に亡くなった母親への思いをつづった文章が多いことに比べると、父親のことを取り上げて、このような感慨を述べているのは珍しい。

ちょっと感動しました。

ちなみに、城山三郎は「落日燃ゆ」で昭和50年に第9回吉川英治文学賞を受賞。
また、平成3年からは吉川英治文化賞の選考委員でした。

前者は図録の年譜に記載がありますが、後者には言及がないので、念のためご紹介しておきます。

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2010年5月 5日 (水)

五月五日

ゴールデンウィークも最終日となりました。
3日の月曜日に開館しましたので、休み明けの6日が振替の定休日となります。
ご承知おき下さい。

という告知だけではなんなので。

五月五日にふさわしい句や歌をご紹介。

風薫る子らが五月ぞ大人ども

この句には「風薫る五月の空ぞ大人ども」という類句がありますが、「子らが」の方が私は好きです。
ちなみに、この句を書いた色紙が残っており、吉川英治による≪鐘馗≫が描かれています。
それが、いかにも酔っ払って描いた感じのもので、そのあたりも私は気に入っています。

藍を出て藍よりも濃しあやめ太刀

講談社の二代目社長となる野間恒に贈ったもの。野間恒は皇太子殿下御生誕奉祝の天覧試合で優勝した腕前を持つ剣道家であり、それを讃えたもの。
「出藍の誉れ」という言葉を下敷きにしたものですが、我が子の未来にそれを望むのは、親なら誰しものことでしょう。

男の子家にし待てば酒うまき
五月もいそぎ帰る父かな

これは担当編集者に贈ったもの。

鯉なくば鯉なくもよしわが家とて
男の子汝れを祝ふ花あやめあり

こちらは河上英一に男の子が生まれた時に贈ったもの。

いずれも父親の男の子に対する思いの感じられるものです。

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