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2010年5月28日 (金)

城山三郎展――昭和の旅人――

表記の展覧会が神奈川近代文学館で6月6日まで開催されています。
あと1週間ほどの会期なのでいまさらですが。

都合がつかず、見学に行っていませんが、そこに吉川英治から城山三郎に宛てた書簡が展示されているはずです。
先日神奈川からご寄贈いただいた図録にも掲載されています。

城山三郎は、昭和34年に「総会屋錦城」で直木賞を受賞していますが、吉川英治も選考委員の一人でした。
おそらく、受賞後に感謝の手紙を城山三郎から受け取った吉川英治が送った返書と思われます(書簡の冒頭が「拝ふく」なので)。

おそらく、と書いたのは、それに対応する城山三郎の吉川英治宛書簡を所蔵していないからです。
吉川家から移管を受けた書簡類の中には含まれていませんでした。

この書簡自体も、過去に出版された吉川英治の書簡集に掲載されていないものです。

図録の写真から内容を読んでみると、もちろん、受賞を祝うものになっています。
図録が注目したのは「委員みなが支持されたのです あなたのお力です(中略)これからも いやこれからの方が君 たいへんだよ」という思いやりのこもった作家の先輩としての一言ですが、私は、別の箇所が気になりました。

けれどおてがみによれば お父上もなほ御健在 まにあつてといふとへんだけれど 自分の父をおもひ合せてです よかつたなあ うらやましい

吉川英治は作家になる前に父親を亡くしています。
吉川英治にとって父親は愛憎半ばする相手ではありますが、作家として一定の評価を受けるようになった自分の姿を父親に見せたかったという思いはあったのでしょう。

たまたま城山三郎からの書簡に父親への言及があったからではあるでしょうが、やはり作家になる前に亡くなった母親への思いをつづった文章が多いことに比べると、父親のことを取り上げて、このような感慨を述べているのは珍しい。

ちょっと感動しました。

ちなみに、城山三郎は「落日燃ゆ」で昭和50年に第9回吉川英治文学賞を受賞。
また、平成3年からは吉川英治文化賞の選考委員でした。

前者は図録の年譜に記載がありますが、後者には言及がないので、念のためご紹介しておきます。

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コメント

城山展を担当しました野見山です。記念館の方にコメントをいただき光栄に存じます。城山の父親は直木賞授賞式に出席していますので、吉川英治は、その時に城山父子の様子を眼にしたのでは…と思います。図版からもお解りのように、この書簡、保存状態があまりよくないのですが、それは、城山の父が軸装して、ずっと床の間に大事に飾っていたからです。城山の父は当初、長男である息子が家業も継がず作家となることに気をもんでいたのでしょうが、この書簡を息子から贈られやっと一安心出来たのだと思います。

投稿: 神奈川近代文学館 | 2010年5月29日 (土) 09時41分

>野見山様

コメントをありがとうございます。
城山さん側の事情がよく分かるコメントで、大変助かります。
特に、城山さんの父親がこの書簡を床の間に大事に飾っていたという話は、いいですね。
改めて感動しました。
ありがとうございました。

投稿: 片岡元雄 | 2010年5月29日 (土) 18時27分

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