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2010年9月17日 (金)

吉川英治の家めぐり(10)

杉並の2軒の家の後に転居した先が上落合です。

この家については、ここでもご紹介しました。

しかし、わざわざ新築したこの家を、吉川英治は約2年しか住まいとしませんでした。
しかも、その半分近くを、旅の空に過ごしていますので、ほとんどこの家には住まなかったと言っても過言ではありません。

というのも、ご存知の方には有名な≪家出事件≫を起こしたのが、この家に住んでいた昭和5年のことだからです。

吉川英治の「自筆年譜」の昭和5年の項目に、こうあります。

徹夜仕事、飲み歩きなど、不摂生つづく。家事また顧みず、内事複雑、この頃、恐妻家の名をはくす。一夜、万年筆を袂に、ふらふらと女中の下駄をはいたまま家庭を出奔、以後、遠隔の温泉地を転々として家妻の目を避く。(略)四谷の一妓、同じく東京を出奔して尋ねて来、ずるずるべったりに一しょに居る。

このことについて「人生の転機」という随筆で、自ら語っていますが、それによると、ある晩、初めてフグのヒレ酒を飲んで悪酔いしてしまった英治を、四谷にあった「小花」という待合の芸者が介抱し、自宅まで送り届けた、そのことで当時の妻・やすから責め立てられ、これではとても家では執筆ができないと家出をし、しばらく家から離れて仕事に精進しようと思ったところが、その芸者が自分のために家出をしたものと思い、旅先までやって来てしまった、という話になります。

関係者を取材した尾崎秀樹の「伝記 吉川英治」によると、仕事に精進するためと称して家出しておきながら、件の芸者の勤める店に、家出先から度々通っていたそうで、それで芸者の方が勝手にやって来たかのように言うのは、あんまりではないかという気もします。

そんなことで、1年ほど、信州上山田温泉や軽井沢などを転々としながら原稿を書く、という生活を送ります。

最終的には、この芸者とは手を切って、家庭に戻ります。
と同時に、せっかく建てた上落合の家を捨て、芝公園へと転居することになります。

心機一転のつもりだったのでしょう。

さて、そんなことですので、この上落合の家についての描写は、ほとんど見られません。

わずかに、吉川英治全集月報の中に、当時博文館の編集者だった人物が、あることから上落合の吉川邸に借金を頼みに行った際、「二階の書斎にいって財布を持って来られた」という描写から、書斎が2階にあったことがわかります。
また、床の間の桜が芽吹いたという部屋を、「奥の茶屋風の部屋」と描写しています。

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