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2010年9月 1日 (水)

吉川英治の家めぐり(2)

さて、吉川英治の裕福な子供時代は、父親の事業の失敗によって、終わりを迎えます。
英治は、小学校を中退させられ、奉公に出されてしまいます。

その奉公先には、もちろん住込みなので、まあ、引越し先とは言えないまでも、生活した家の一つではあります。
その様子は、以前こちらで触れましたので、ここでは省きます。

英治が奉公先に住込んでいるうちに、ついに持ちこたえられなくなって、実家は昨日の清水町の家から、西戸部の細民街に転居します。

しばらくして英治は、奉公先で疎まれ、実家へ帰されてしまいます。
その際に初めて見た新しい実家の印象をこう書いています。

藪やら古い池の残痕やらを繞って安っぽい借家がぽつぽつ建て混み初めて来たといった風な場末であった。その一軒の格子先に、紛うなきわが家の標札を見つけたとき、ぼくはこれがわが家かと疑った。(略)
家はたったの三間ほどであった。以前の家庭にあったような家具や飾りは何一つ見当たらない。(略)奥の六畳にまだおむつの要る妹が蒲団にころがってい、狭い裏庭の外に物干竿へ洗い物を懸けている母の後ろ姿があった。

奉公先から追い出された英治がたどり着いた実家には、父親の姿はありませんでした。
事業上の問題から裁判沙汰となり、最終的に投獄されてしまっていたのです。

もっとも、「忘れ残りの記」を読んでも正確な期間はわかりませんが、それほど長くはない期間で、父親は出獄します。

しかし、獄中で体調を崩した父親は働くことができず、それでいて酒は飲むので、家計は悪化し、同じ西戸部のより手狭な家に引っ越すことになります。

吉川英治は、家が困窮して食べる物がなく、ひそかに他人の畑の芋を盗んできて食いつないだという話を、「忘れ残りの記」だけでなく、いくつかの随筆にも書いていますが、「忘れ残りの記」の記述に従うならば、それはこの西戸部の家に住んでいた頃ということになります。

貧しさも貧しさであるし、思春期に入って父親との軋轢も生れてくる。
そんな中で、家を出ようと考えた英治が、自ら見つけてきた仕事が、日の出町にあった続木商店の住込み店員で、ここで再び実家から離れることになります。

と言うのが「忘れ残りの記」における流れです。
細かいことは後に触れますが、これが、本人が書いた「自筆年譜」によると、時期が全く食い違っていて、どちらを信用すべきなのか分からなくなります。

とりあえずは、「忘れ残りの記」優先で話を進めてみます。

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