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2010年9月14日 (火)

吉川英治の家めぐり(9)

ここからは吉川英治が作家となってから住んだ家になります。

その作家生活初期の居住地が杉並であったことを、ここここで既に書きました。

そこでいくつか補足的に書いてみます。

吉川英治の「自筆年譜」も、尾崎秀樹の「伝記 吉川英治」も、高円寺の家を飛ばして馬橋の家を千駄木町の家の次に持ってきているということを書きましたが、そのひとつの原因は吉川家の戸籍謄本にあるような気がします。

何度か触れているように、これは関東大震災によって焼失したものを後に再発行したものです。
戸籍謄本自体に

大正拾弐年九月壹日火災ニ罹リ滅失ニ付大正拾五年八月弐拾八日本戸籍再製ス

とあります。
そして、続けて

東京府豊多摩郡杉並町馬橋五百八拾七番地ニ転籍届出大正拾五年九月拾日

となっています。

つまり、関東大震災で焼失した戸籍が復活したのが、実に震災から3年後の大正15年8月28日。
その時点では馬橋に住んでいたので、馬橋の住所で届出をし、高円寺がこぼれ落ちたということでしょう。

さて、その馬橋の家について、新井弘城が吉川英治全集月報に寄せた文章の中で少し触れています。

(略)高円寺の駅をでて、細い商店街をぬけると、電信隊のひろい用地が、東西にながくつづいており、雑草がしげっていました。それを横ぎると、馬橋の住宅街があって、そこに、先生はお住いでした。
玄関の間、中の間をぬけた奥の間が、先生の書斎で、いつもそこでお目にかかりました。(略)
(「“龍虎八天狗”の思い出」より)

間取りがこのくらいでは、そう大きな家ではなかったのでしょう。

新井弘城は当時、博文館の雑誌『少年世界』の編集者として、タイトルにもある「龍虎八天狗」原稿を取りに来ていました。
同様に、当時、東京日日新聞の記者として「鳴門秘帖」の連載に関与していた安成二郎にあてた吉川英治の書簡(大正15年10月5日付)には、初めて自宅を訪ねて来る安成に対して、道案内の地図を手書きで描いています。

今回の企画展「吉川英治の家族と家」では、この安成宛の書簡を展示していますので、吉川英治がどんな案内図を描いたのか興味のある方は、ぜひお運び下さい。

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