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2010年9月 3日 (金)

吉川英治の家めぐり(3)

自叙伝「忘れ残りの記」の本文にしたがうと、前回触れた西戸部の家に住んでいた時に、自分で住込みの仕事を見つけてきて、家を出たということになっています。

その住込みの仕事先は続木商店という食品や雑貨を扱う店で、一般向けの小売より海軍への物品の納入が主力の店だった、当初は日の出町にある本店で、後に横須賀にある支店に勤務した、ということを英治は書いています。

本店時代の出来事として、ある日、弟が店に現れ、「昨日から家中何も食べてない」と訴えた、という話を書いています。
慌てた英治は、たまたま店の主人の老母に按摩をして貰った5銭銅貨を弟に渡し、自分は店で扱っていた牛缶を給金の前借として持ち出し、実家に届けた。その途中、蕎麦屋に立ち寄って、かけ蕎麦の出前を頼み、それでなんとか一家の命は救われたが、英治自身は金を持ち合わせていないし、家にも金はないので(だから何も食べていないわけですから)、その後、蕎麦屋の出前持ちが毎日実家に代金を請求しにやって来て困った、という話です。

支店時代は、主人夫妻がいない分、本店よりは自由がきいたようで、父親から送られてきた俳句の雑誌を読みふけったり、新聞や雑誌の投稿欄に投句したりということが出来たようです。

その頃の思い出として書いているのは、軍艦新高への商品の搬入のことです。
海軍御用達の商店ですから、横須賀の軍港に停泊する軍艦はお得意先です。
その中でも新高の酒保に行くのは愉しかったと書いています。

ある時、一人で新高へ使いに行ったところ、新高は出港準備をしていた。このまま船のどこかに隠れていたら外国へ行ける、などという空想にふと駆られ、それを実行しかけたが、船員に見つかってつまみ出された、という話を書いています。

考えてみると、港町・横浜で生まれ、父親は桟橋会社を経営していたことがあり、外国の船員を父親が自宅に連れて来たこともあるという環境に育っている割には、貧困などの自分の抱えている現実を打破するために、あるいは逃避するために、意識を海外へ向ける、ということが、吉川英治にはあまりないように思えます。

そんな中で、この時ばかりは、どこか遠くで人生をリセットしたい、というような気持ちになったのでしょうか。

もし本当に密航して、世界を放浪したりしていたら、どんな作家になったのだろうか、後年、「嫌いだ」とはっきり随筆にも書いている林不忘のようなタイプになっていたんじゃないか、などと妄想したりしてしまいます。

なお、家として見た場合、その様子のわかる描写は「忘れ残りの記」には残念ながらありません。
明治時代の商家であるというところから、想像してみるしかありません。

さて、「忘れ残りの記」によれば、英治が続木商店にいるうちに、実家には転機が訪れ、西戸部から引越しをしています。
そして、英治は続木商店から暇を出され、その実家に戻ることになります。

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