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2010年12月17日 (金)

吉川英治、久保天随に叱られるの巻―その2

以下のことは、いずれも明治38年10月10日発行の『ハガキ文学 一週年紀念号』(臨時増刊第二巻第十六号)で見つけました。

まず、吉川英治以外の投稿者として≪長野 国枝史郎≫の名を見つけました。

国枝史郎といえば、吉川英治らとともに、戦前の大衆文壇を支えた作家の一人です。

明治20年長野県諏訪郡生まれで、国枝史郎は本名なので、この投稿者は本人と見て間違いないでしょう。
「神州纐纈城」「蔦葛木曽桟」といった代表作を持つ国枝史郎が投稿したのは、何と新体詩(選者は児玉花外)です。

風雅つくせる伊太利亜の、吁楽堂とまどゐして、
調べに誇る令人の、かなづる曲の響く哉。
日は床しみの笑を投げ、風は賛美の香を送る、
オーケストラの潮の音、落ちて清けき四部の声。
余韻乱れぬ独奏は、詩神も下る愛の歌、
夕となりぬ楽堂は、湧き来る笛や琴の音や、
偖も燈火の陰にこそ、女神や舞はん此夜さやかに。

この「楽堂」というタイトルの詩は、ロマンティックという意味では後の作品と相通じるのかもしれませんが、青春18歳の若気の至りとも感じられて、微笑ましい気もします。

もう一人、意外の人物として、石島雉子郎の名を“はがきお噺”(巌谷小波選)のコーナーで見つけました。

石島雉子郎については、以前も触れたことがありますが、吉川英治が大正時代に川柳家として≪雉子郎≫を名乗り始める以前に、既にその名で活動していた人物です。

吉川英治が自らの雅号を≪雉子郎≫とする時に、石島雉子郎のことを知っていたのか否か、ということが以前から気になっていました。
リンク先で触れた雑誌『五月鯉』を吉川英治が目にしていた可能性はありますが、吉川家の当時の経済状態を考えると、そう片っ端から雑誌を購入できるほどでもなかったでしょう。
その点、いま取り上げている『ハガキ文学 一週年紀念号』には、吉川英治が≪霞峰≫の名で投稿した川柳も掲載されていますから、この号に目を通した可能性はより高いと思われます。

すると、すでに≪雉子郎≫が存在することは、目に留めていたのではないでしょうか。
ただ、実際に≪雉子郎≫を名乗り始めるまでには数年ありますから、その名を目にしていたけれども、すっかり忘れていた、というところかもしれません。

想像の域を出る話ではありませんが。

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