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2011年2月20日 (日)

忍者と麻の実(3)

この話も、もうブログに書いたと思っていましたが、検索しても出てこないので、まだだったようです。

前回触れた「忍術を語る」という座談会ですが、この座談会には裏話があります。
実は、この座談会が行なわれたのが昭和11年2月26日、つまり、2・26事件の当日だったのです。

吉川英治は『文藝春秋』昭和11年4月号に掲載した「随筆宮本武蔵(承前)」という文章に、その日の自身の行動を書き綴っています。これに当時の秘書の回想などを加えて経過を記すと、こんな感じになります。

吉川英治が当時住んでいた赤坂区表町の家は、2・26事件で殺害された高橋是清邸の路地向かいだった。
その高橋是清邸が襲撃されたのが2月26日午前5時過ぎ。
しかし、普段徹夜での執筆が多い英治が、この日に限って前日午後11時頃に寝床に入り、午前9時頃まで事件のことを知らなかった。
そこへ読売新聞社会部の記者から、隣の高橋邸からの物音を聞かなかったかという電話がかかってきて、ようやく事件の発生を知る。
一方、当時「宮本武蔵」を連載中の朝日新聞社からは、いつも原稿を取りに来る使いの者が、どうしても数寄屋橋から赤坂まで行かれないと電話をしてくる。
そんな中、数人の記者が吉川邸に詰めかけ、応接室で英治と記者の議論が始まる。
こうした状況ではあったが、芥川・直木賞委員会の日であったので、文藝春秋社のある大阪ビルまで出掛けてみたが、やって来ていたのは白井喬二だけであった。
また、徳田秋声の娘の結婚式が、この大阪ビルにあったレインボーという店で行なわれることになっていたが、参列者はほとんど来ておらず、その中で近松秋江が興奮気味に何かを口走っていた。

そして、この後、晩になって「忍術を語る」座談会に出席することになります。
そのくだりを引用しようと思いますが、長くなるので、それは次回にして、先に行きます。

この座談会の後、会の出席者である阿部真之助とともに東京日日新聞(現毎日新聞)の編集室に、新しい情報が入っていないかを確かめに行った。これが午後11時半頃。
日付の変わる12時頃に編集室を辞して、帰宅した。

ということになります。

これが吉川英治の2月26日でした。

ちなみに、当館の館報『草思堂だより』に当時の秘書が遺した原稿を掲載しましたが(「吉川英治先生との思い出」田中義一)、それによると、吉川英治は家人に炊き出しを命じて握り飯を作らせ、26日の夕方にそれを持って決起した兵たちに差し入れに行ったかのように書かれています。
一方、尾崎秀樹は「伝記吉川英治」の中で、それを27日のこととしています。
上記の経過を見ると、26日に差し入れに行く余裕はなかったと思われますので、27日が正しいのでしょう。

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