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2011年3月18日 (金)

地震の後(1)

地震の発生から1週間。
少し備忘的にその間のことを書き留めておこうと思う。

3月11日
地震発生。
経験したことのない大きな揺れではあったが、周期の長いゆったりした揺れだったので、あまり深刻には受け止めなかった。
ちょうど、その時には、ミュージアムショップで物品を購入しようとする2人の来館者の方の対応をしていた。
1人は揺れた途端に大慌てで建物の外に飛び出したが、もう1人とは「揺れますねぇ」などと話しながら現金のやりとりをした。
その間、3分ほど揺れは続き、これはいくらなんでも尋常ではないと思いはしたものの、積み上げてある商品も崩れたりはしなかったので、悠長に構えていた。
揺れがおさまったので被害状況の確認しようと、展示室のある建物に向おうとすると、来館者の一部が普段は立ち入り禁止の芝生の築山に集まっている。
建物の倒壊を恐れて、開けた場所に集まったのだろう。
その姿を見るまで、正直なところ、資料は心配したが、来館者の心配はしていなかった。
ダメな人間だ、私は。
幸い、怪我人はなく、資料も展示してある本の一部が転倒していたくらいで、収蔵庫などにも被害はなかった。
唯一ぞっとしたのは、「宮本武蔵」の執筆に使ったペンが、台から転げ落ちていたことくらい。これも破損はなかった。
受付の職員が若い男性の来館者に「すごかったですね」と声をかけたところ、「ワタシ台湾デ大地震ニアッタカラ、コノ位ハ平気デス」との答え。台湾からの留学生らしいが、行く先々で大震災に見舞われるとは、イヤな巡り合わせの持ち主だ。
さて、館の暖房はボイラーだが、地震を感知して停止していた。正常に作動していてホッとする。
もう一つ、エレベーターも停止していたが、これは職員専用なので、閉じ込めなどの事態は発生しなかった。ちなみに、エレベーターの管理会社が復旧に来たのは翌日午後だった。
時代を感じたのは、来館者が一斉にケータイを取り出し、ネットで情報を得ようとしていたこと。
私は、館内には放送の受信できるテレビもラジオも無いため、パソコンからネットで情報を得ようとしたが、回線が混雑して接続ができない。
そのため、私もケータイに頼るしかなかった。
さらには、近所の家に行って、テレビを見せてもらうなどして、状況を確かめた。
それによって、点検のために鉄道がほとんど止まっていることを知った。
青梅という所はJR青梅線しか鉄道がないので、これが止まると市外に出るのが困難になる。
私は職住近接で、徒歩通勤できるのでいいが、この日、梅郷に観梅に来ていた人々のうち、鉄道でやってきた人たちは、青梅線の運休によって≪帰宅難民≫となった。
メディアでは、自分たちを含む都心部に通勤している≪帰宅難民≫ばかりを取り上げていたが、彼らの目に付かない場所で、少なくとも千人以上の人たちが立ち往生していたことに、今も気づいていないだろう。
なお、そうした状況は、伝聞情報で入ってきたので、私は自分の目では見ていない。それをわざわざ確かめに行くほど酔狂ではない。
路線バスが動いていたので、それで帰れる所まで、皆さんお帰りになったのだと思う。
ちなみに私は、路線バスだけを乗り継いで青梅から渋谷まで行ったことがあるし、横浜から青梅まで帰ってきたこともある。時間さえかければ何とかなるはずだ。
しかし、バスが混雑するだろうことを考えると、それだけで十分、げんなりする。
皆さんどうしただろうか?

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