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2011年5月27日 (金)

きゃら

草思堂庭園の芝生の築山の斜面に古いきゃらの木があります。
とても大きなもので、庭園の重要なアクセントになっていたのですが、数年前から枝に枯れが目立つようになりました。

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こんな感じにみっともなくなってきたので、泣く泣く伐採することにしました。

とは言え、古い木をただ伐ってしまうのも惜しい。

樹齢がどのくらいになるものかは分かりませんが、以下の昭和20年代の写真にもその姿が確認できます。

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この頃はまだそれほど大きくありませんが、その後、現在までの60年ほどの年月をかけて上の写真くらいまで大きくなった木です。

そんなわけで、ちゃんと新芽を吹いている一部の枝を残して様子を見ることにしました。

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何とか息を吹き返してくれればよいのですが。

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2011年5月24日 (火)

吉川英治と藤田嗣治

「吉川英治が写した中国」展のために、吉川英治が撮影したと思われる写真を1点1点チェックしていく中で、ある発見をしました。

いや、単に私が浅学にして知らなかっただけの話で、発見とは大袈裟ですが。

この写真、紙テープが舞っていることから、港を出航する船上から見送りの人たちを撮影したものだということはすぐに見当がつきます。

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吉川英治はペン部隊に海軍班として従軍し、揚子江遡行作戦に従事している軍艦に便乗していますが、まさか作戦中の軍艦で紙テープを投げるとは思えません。
となると、行程の中で軍艦以外に乗った船は、日本に帰国する際の上海―神戸航路の船だけなので、これは上海の港での出国の場面であろうと推定できます。

さて、現物の写真は9.5×6.8cmという小さなサイズなので、写っている人物の顔まではよくわかりませんでした。

この写真を含め、一連の吉川英治撮影の写真を全て、展示用パネルにする場合も考えて、1200dpiでスキャナーで読み込んでみました。
その上で改めて1点ずつ見直してみました。

すると、この写真の車の間に立っている人物の姿が、はっきりわかるようになったのです。

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この手前の人物の顔、どこかで見たような?

藤田嗣治、じゃないかな。

そう思って、藤田の戦前の随筆集「地を泳ぐ」に収録された「聖戦従軍三十三日」という文章を読んでみました。

昭和13年10月1日に中国での従軍のために東京の自宅を出発した藤田は、上海に到着すると、ちょうどペン部隊海軍班が最前線から上海に戻って来たという噂を耳にする。
そこで10月7日、海軍班の一員であった吉屋信子を、彼女が宿泊しているブロードウェイ・マンションに訪ねる。
そこで「吉川、浜本、北村、佐藤諸氏の元気な顔が次ぎ次ぎに吉屋さんの部屋に現れて来る」。

確かに藤田嗣治と吉川英治は上海で顔をあわせています。
恥ずかしながら、藤田と英治に接点があるとは思っていなかったので、今までこの文章を読んだことがなく、初めて知りました。

ただ、残念ながら帰国する海軍班一行を港で見送ったとは書かれていません。

逆に言うと、写真の人物が藤田なら、随筆には書かれていないちょっとした新事実ということになりますが、これも私が知らないだけで、藤田の研究者には自明のことかもしれません。

わざわざブログで不勉強の恥をさらすのもなんですが、私としてはちょっと驚いたので、書いてみました。

ちなみに、もう1人の男性は、藤田が同じホテルに宿泊中と書いている石井柏亭ではないかという気がするのですが、柏亭の顔をよく知らないので、はっきりしません。

重ね重ね恥ずかしい話です。

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2011年5月 1日 (日)

吉川英治が撮影した中国(2)

もう少し詳しく見てみましょう。

昭和13年の「ペン部隊」の際に吉川英治が撮影したと考えられる写真で当館に遺されていたものは、111枚あります。
その内訳は、場所が特定しきれない28枚を除くと、上海周辺と特定・推定できるものが42枚、同じく南京周辺が12枚、揚子江上の艦艇で撮影したものが18枚、田家鎮周辺で撮影したものが11枚となります。
これらの写真の一部は、当時の雑誌記事や単行本口絵の中に≪吉川英治先生撮影≫などとして紹介されています。ちなみに、それらの中には当館にない写真も数枚ありますので、現存するものが全てではないと思われます。

吉川英治は、撮影した写真の中で、何を被写体としているのか。

上記の通り、軍によって案内されながら戦跡を巡った上海・南京で撮影したものが多いのですが、戦跡そのものをストレートに撮影しているものは少なく、むしろそこにいる作家仲間たちの姿を写しているものが多いようです。
また、数は多くありませんが、上海でも南京でも、中国の民衆の姿を数枚撮影しています。

場所よりも人に関心があったということでしょうか。

その最たるものが、戦場における兵士の写真です。場所が特定・推定できるもの、できないものを含め、兵士(将校を含む)をメインの被写体とした写真は20枚ほどあります。

これは実際はもっと多かったと推測されます。
というのも、ある随筆に、上海から南京への列車で近い席に座った将校の写真を撮り、日本に帰国したら家族に送って差し上げますと言ってその将校の実家の住所を聞いたというエピソードが書かれているからです。
その写真は実際に送られたようで、今残っている写真の中には列車内で撮影されたものは含まれていません。
他にも実際に家族に送られた兵士の写真もあったはずで、そのために吉川英治の手許には残らなかった写真もあると思われるからです。

一方、場面を主体にしているものが、揚子江の田家鎮側の砲台から対岸の中国軍の半壁山要塞を攻撃している様子を撮影したものがあります。
これは、この視察における最前線であり、また、最も間近で戦闘を経験した場面でもあり、強く印象に残ったのでしょう。
しかし、ここでも人物が画面に入るように撮影していて、ただの風景とはしていません。

総じて、吉川英治の写真から見えてくるのは、戦争の中での個々の人間の姿であると言えるでしょう。

その点が小説「三国志」と結びついているのではないか、という観点でこの企画展を構成してみましたが、皆さんはどのようにお感じになるでしょうか。

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