« 吉川英治が撮影した中国(1) | トップページ | 吉川英治と藤田嗣治 »

2011年5月 1日 (日)

吉川英治が撮影した中国(2)

もう少し詳しく見てみましょう。

昭和13年の「ペン部隊」の際に吉川英治が撮影したと考えられる写真で当館に遺されていたものは、111枚あります。
その内訳は、場所が特定しきれない28枚を除くと、上海周辺と特定・推定できるものが42枚、同じく南京周辺が12枚、揚子江上の艦艇で撮影したものが18枚、田家鎮周辺で撮影したものが11枚となります。
これらの写真の一部は、当時の雑誌記事や単行本口絵の中に≪吉川英治先生撮影≫などとして紹介されています。ちなみに、それらの中には当館にない写真も数枚ありますので、現存するものが全てではないと思われます。

吉川英治は、撮影した写真の中で、何を被写体としているのか。

上記の通り、軍によって案内されながら戦跡を巡った上海・南京で撮影したものが多いのですが、戦跡そのものをストレートに撮影しているものは少なく、むしろそこにいる作家仲間たちの姿を写しているものが多いようです。
また、数は多くありませんが、上海でも南京でも、中国の民衆の姿を数枚撮影しています。

場所よりも人に関心があったということでしょうか。

その最たるものが、戦場における兵士の写真です。場所が特定・推定できるもの、できないものを含め、兵士(将校を含む)をメインの被写体とした写真は20枚ほどあります。

これは実際はもっと多かったと推測されます。
というのも、ある随筆に、上海から南京への列車で近い席に座った将校の写真を撮り、日本に帰国したら家族に送って差し上げますと言ってその将校の実家の住所を聞いたというエピソードが書かれているからです。
その写真は実際に送られたようで、今残っている写真の中には列車内で撮影されたものは含まれていません。
他にも実際に家族に送られた兵士の写真もあったはずで、そのために吉川英治の手許には残らなかった写真もあると思われるからです。

一方、場面を主体にしているものが、揚子江の田家鎮側の砲台から対岸の中国軍の半壁山要塞を攻撃している様子を撮影したものがあります。
これは、この視察における最前線であり、また、最も間近で戦闘を経験した場面でもあり、強く印象に残ったのでしょう。
しかし、ここでも人物が画面に入るように撮影していて、ただの風景とはしていません。

総じて、吉川英治の写真から見えてくるのは、戦争の中での個々の人間の姿であると言えるでしょう。

その点が小説「三国志」と結びついているのではないか、という観点でこの企画展を構成してみましたが、皆さんはどのようにお感じになるでしょうか。

|

« 吉川英治が撮影した中国(1) | トップページ | 吉川英治と藤田嗣治 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 吉川英治が撮影した中国(1) | トップページ | 吉川英治と藤田嗣治 »