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2011年11月13日 (日)

若気の至り

今年は、どうも、アクシデントが多いようで。

当館では、今、アートプログラム青梅に会場を提供しています。

当館は基本的に入館は有料ですが、アートプログラム青梅の事務局や参加作家から招待状を送られた方に対しては、招待状が入っていた封筒を提示していただけば、無料で入館していただいています。

参加作家の方々は、作家活動だけで生計を立てているという方は稀で、大体はどこかの美大・芸大で先生をしていらっしゃいます。
また、そもそも学生自体も企画に参加していますので、そうした学生たちも来館します。

今日の昼間も、そんな学生と思しきの小グループが封筒をもって来館しました。
館内での様子を見ていると、大きな声で作品を“批評”しています。
若者の仲間内の口調なので、どちらかと言うと、“けなしている”と言った方が当たっているかも知れません。

「若い時は、そんな生意気なことを言ってみたくなるもんだ。まして芸術系の学生では、そういう我も強かろう」などと、どちらかと言えば、微笑ましい気持ちで眺めていました。

さて、騒々しい若者たちが帰った後、しばらく経って、ふと作品を見てみると、何か違和感があります。

Pa190590

これは、吉川陽一郎さんの「飽和」改め「キャスターの時代」(会期の途中で、突然タイトルが変わりました)という作品です。
キャスターの付いた細いグラスファイバーがつなぎ合わされたものです。

赤い四角で囲った部分だけ、どこにもつながらず、突端が出ています。

この離れているはずの2ヶ所が、今は接続されているのです。

初めて観る人にはわからないでしょうが、私は毎日観ているので、すぐに気が付きました。

作品をどう捉えるかは自由ですから、言葉で酷評するのは好きにすればよろしいわけですが、作品そのものに手を出すのは、いただけません。
作家本人の目の前でやってのけるのなら、ある種のアートパフォーマンスと言えるかもしれませんが、こっそり改変してしまうのは、ただの悪戯です。

他人の作品に対してリスペクトが無いというのは、アーティストとして下の下だと思うのですがね。

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2011年11月12日 (土)

アートプログラム青梅三題の3

先日、ドイツで、美術館の清掃員が、展示中の現代美術作品に作家が意図的につけた染みを、汚れと思ってピカピカに磨いてしまった、という事件があったそうです。

最後のひとつは、それにちょっと似た出来事。

吉川英治旧宅の母屋には、今、高柳恵理さんの作品が展示されています。

その母屋には、警備会社のセンサーが設置されていて、帰宅の際にはそれをセットしていきます。
センサーは、ある意味過敏なので、時々大きな蛾などに反応して、発報してしまうことがあります。
異常があれば私に連絡が来ますが、何もなければ、私には連絡はなく、確認に来た旨のメモだけが残されることになります。

さて、一昨日の朝、私がセンサーを解除して母屋の中に入ると、テーブルの上に警備会社のメモと、そこにあってはならないものが置かれていました。
メモには概略、こうありました。

センサーが反応したので確認に来ましたが、蛾が原因のようです。室内に入ったところ、バッグが落ちているのを発見したので、念のため拾っておきました。

うーむ。

こんな感じで床にあれば、落し物と思ってもしょうがないけど、それは作品なんだけどな(苦笑)
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それにすぐそばにこういうものもあるので、ここがミュージアムだという事を考え合わせて、触らない方がいいと判断してもらいたかったんだけどな。
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まあ、ドイツの美術館の清掃員も含め、仕事熱心なだけではなくて、そこがどういう場所なのかに対する関心も持つべきなのだということでしょうが、同時に、それがどうしてアートなのか、美術業界の内輪の言葉ではなく、普通の人にもわかる言葉で伝える努力が美術家の側にもあって欲しい、という気持ちにはなります。

そんな出来事でした。

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2011年11月11日 (金)

アートプログラム青梅三題の2

もうひとつは、西多摩新聞の取材を受けたこと。

なぜ文学館がアート作品を展示しているのか、どうして主たる会場からはかけ離れた場所で開催しているのか、来館者からの苦情は無いのか、と言った質問を受けました。

急な電話取材だったので、うまく話せたかどうかわかりませんので、ちょっとここで補足しておこうと思います。

以前にも、この質問に関するようなことは、こんな感じや、こんな感じで触れたことはあるのですが、改めて、書いてみます。

元を正せば、アートプログラム青梅の第1回を、偶然、観に行って、中心人物の一人である原田丕さんと知り合ったのがきっかけなのですが、その頃、私にはこんな妄想が頭の中にありました。

「文学館のショーケースに展示され、手に触れて読むことの出来ない本は、ただのオブジェに過ぎないのではないか。だったら、いっそ本をオブジェの素材としてみたら面白いのではないか。」

アートプログラム青梅の第2回を開催するにあたって、原田さんから会場提供の依頼があった際、この妄想を形に出来るチャンスではないかと、内心思いました。
そして、実際、当館を会場として展示を行なうことになった山口啓介さんに、この思いを伝えました。
そうして製作された山口さんの『青梅の本棚』という作品は、本物の本を蜜蝋と樹脂で固めた≪読めない本≫によって構成されたもので、偉そうな言い方ですが、私はこの作品に十分満足しました。

それが出発点となって、今まで継続しているわけです。
もっとも、作品内容にかかわるようなコミュニケーションを事前にとり、こちらの考えを作家に伝えたのは、この時だけで、以後の作家に対しては、一切注文はつけていません。
たまに、例えば吉川英治旧宅の母屋について、「これを単なる面白い空間とだけ捉えるのではなく、この空間の持つ歴史性とか、来歴にも配慮して欲しいと思うことがある」というようなことは、口にしたりしているものの、作品に干渉することはしないようにしています。

それをしなければ文学館でアート作品を展示する意味は無いんじゃないかと言われれば、そうなのかもしれませんが、創作に制限を加えたくないという思いもあるのです。

さて、主たる会場から1ヶ所ポツンとかけ離れた感じになっているのは、言ってみれば結果で、それを意図したわけではありません。
本当は、主たる会場となっている青梅駅から東青梅駅の一帯だけでなく、もっと青梅全体でこのイベントを盛り上げ、あちらこちらで関連の展示が行なわれるようになれば素晴らしいことだし、吉川記念館が会場を提供することでその呼び水になればいい、という思いがあったのですが、今のところ、そうはなっていない、ということなのです。
とても1日では回りきれないほどの範囲で作品が展示されれば、繰り返し青梅に足を運んでくれるのではないか、それが街おこしになるのではないか、という野望があったのですが。

苦情については、上記のリンク先に書いた通りですが、私の意図としては、現代アートに馴染みの無い人にそれに接する機会を提供したい、ということと同時に、作家が、いわば≪業界外≫の人と接する機会になればとも思っているのです。
不遜な言い方ですが、「苦情を浴びる」のもいい機会なんじゃない?ということです。

作家の方からは、「いや、そんなのは親兄弟から散々言われた」と返されるかもしれませんが。

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2011年11月10日 (木)

アートプログラム青梅三題

開催中のアートプログラム青梅ですが、昨日は、これに関する出来事がいくつか重なったので、ちょっと触れてみます。

まずひとつ。

今回当館で展示を行なっているのは高柳恵理さんと吉川陽一郎さんのお二人ですが、昨日、吉川さんが前触れもなくやって来られ、「急に思いついたから」と言って、作品を改変していかれました。

以前、意図的に会期途中で作品の一部を交換された作家の方がいらっしゃいましたが、このパターンは初めてです。

これが改変前。
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こんな振り子がぶら下がっていました。
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で、こちらが改変後。
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振り子が、こんな杭に替わりました。
Dscn3202

実は、今、植木屋が松の手入れに入っているので、「視覚的な違和感がなくなった分、なんだか植木屋の仕事みたいに見えますね」と申し上げたら、笑いながら「それでいいんです」と答えられました。

さて、どうお感じになりますか?


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