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2011年11月11日 (金)

アートプログラム青梅三題の2

もうひとつは、西多摩新聞の取材を受けたこと。

なぜ文学館がアート作品を展示しているのか、どうして主たる会場からはかけ離れた場所で開催しているのか、来館者からの苦情は無いのか、と言った質問を受けました。

急な電話取材だったので、うまく話せたかどうかわかりませんので、ちょっとここで補足しておこうと思います。

以前にも、この質問に関するようなことは、こんな感じや、こんな感じで触れたことはあるのですが、改めて、書いてみます。

元を正せば、アートプログラム青梅の第1回を、偶然、観に行って、中心人物の一人である原田丕さんと知り合ったのがきっかけなのですが、その頃、私にはこんな妄想が頭の中にありました。

「文学館のショーケースに展示され、手に触れて読むことの出来ない本は、ただのオブジェに過ぎないのではないか。だったら、いっそ本をオブジェの素材としてみたら面白いのではないか。」

アートプログラム青梅の第2回を開催するにあたって、原田さんから会場提供の依頼があった際、この妄想を形に出来るチャンスではないかと、内心思いました。
そして、実際、当館を会場として展示を行なうことになった山口啓介さんに、この思いを伝えました。
そうして製作された山口さんの『青梅の本棚』という作品は、本物の本を蜜蝋と樹脂で固めた≪読めない本≫によって構成されたもので、偉そうな言い方ですが、私はこの作品に十分満足しました。

それが出発点となって、今まで継続しているわけです。
もっとも、作品内容にかかわるようなコミュニケーションを事前にとり、こちらの考えを作家に伝えたのは、この時だけで、以後の作家に対しては、一切注文はつけていません。
たまに、例えば吉川英治旧宅の母屋について、「これを単なる面白い空間とだけ捉えるのではなく、この空間の持つ歴史性とか、来歴にも配慮して欲しいと思うことがある」というようなことは、口にしたりしているものの、作品に干渉することはしないようにしています。

それをしなければ文学館でアート作品を展示する意味は無いんじゃないかと言われれば、そうなのかもしれませんが、創作に制限を加えたくないという思いもあるのです。

さて、主たる会場から1ヶ所ポツンとかけ離れた感じになっているのは、言ってみれば結果で、それを意図したわけではありません。
本当は、主たる会場となっている青梅駅から東青梅駅の一帯だけでなく、もっと青梅全体でこのイベントを盛り上げ、あちらこちらで関連の展示が行なわれるようになれば素晴らしいことだし、吉川記念館が会場を提供することでその呼び水になればいい、という思いがあったのですが、今のところ、そうはなっていない、ということなのです。
とても1日では回りきれないほどの範囲で作品が展示されれば、繰り返し青梅に足を運んでくれるのではないか、それが街おこしになるのではないか、という野望があったのですが。

苦情については、上記のリンク先に書いた通りですが、私の意図としては、現代アートに馴染みの無い人にそれに接する機会を提供したい、ということと同時に、作家が、いわば≪業界外≫の人と接する機会になればとも思っているのです。
不遜な言い方ですが、「苦情を浴びる」のもいい機会なんじゃない?ということです。

作家の方からは、「いや、そんなのは親兄弟から散々言われた」と返されるかもしれませんが。

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