吉川英治のことば(3)
今日は箴言的なものを。
身を浅く思ひ世を深く思ふ
これは、宮本武蔵の『独行道』の中にある言葉です。
全部で21条ある『独行道』のうち、「我事において後悔をせず」や「仏神は貴し仏神をたのまず」がよく知られていると思いますが、揮毫する際、この言葉を選んだところに、吉川英治の意思があるのでしょう。
現状は「国を浅く思い党を深く思う」などという皮肉を言うのもバカバカしくなるような状況ですが。
修養とは我を愛する者の我への大願
吉川英治の元書生の方によると、自身が主宰していた日本青年文化協会の会員の若者たちにしばしば揮毫して贈っていたことばだそうです。
小説「宮本武蔵」の中で、奈良井の大蔵の配下となって徳川秀忠暗殺の企てに加担する城太郎が「自己の一身など考えていては天下の大事はできません」と語るのに対して、沢庵が一喝してこう言います。
「自己が基礎(もと)ではないか。いかなる業(わざ)も自己の発顕じゃ。自己すら考えぬなどという人間が、他のために何ができる」
この言葉と通じるものがあるように感じます。
思ひて学び 学びて思ふ
展示してあるこの書には「誡太子之書」と書き添えてあります。
後醍醐天皇に譲位して上皇となった花園天皇が、後に光厳天皇となる量仁親王に与えた訓戒の書が「誡太子書」です。その一節に
縦へ学百家に渉り、口六経を誦すとも、儒教の奥旨を得べからず。何に況んや末学膚受して、治国の術を求むとも、蚊虻の千里を思ひ、鷦鷯の九天を望むよりも愚ならん。故に思ひて学び、学びて思ひ、経書に精通し、日に吾が躬に省るときんば則ち相似るものあらん。
という部分があります(岩橋小弥太「花園天皇」〔吉川弘文館 平成2年〕より引用)。
この一部を抜き出したのが、このことばです。
「誡太子書」が儒教を重視している点から見て、論語の中の言葉を下敷きにしたようです。
心に何も持たずに知識だけを得ても意味が無い、考えながら学び、学んだことから考えるという姿勢が大事なのだ、ということでしょう。
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「没後50年記念 読み継がれる吉川英治文学」
野間記念館にて 3月4日まで
北九州市立文学館にて 4月21日から
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