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2012年6月 6日 (水)

小倉・門司散歩――4年後のおまけ

現在の北九州市立文学館の館長は今川英子氏ですが、先代の館長は作家の佐木隆三氏でした。

その佐木隆三氏が「吉川英治歴史時代文庫80 神州天馬侠(三)」の巻末にこんな文章を寄せています。

 ところで昭和四十九年暮れ、わたしは講談社の“カンヅメ”になった。地下鉄の赤坂見附から、青山通りを上って、カナダ大使館の角を曲ったあたり、御屋敷街である。そこに赤坂別館があって、小説家が何人かこもっていた。広い庭に面した座敷をあてがわれ、わたしは落着けない。
「どういう由来の建物ですか?」
「旧吉川英治邸です」
 それを聞いて、体が震えた。(以下略)

この頃、吉川英治の赤坂新坂町の家は、講談社が管理し、講談社の赤坂別館として、佐木隆三氏が経験したように執筆者を、いわゆる“カンヅメ”にして原稿を書かせる場所として利用されていました。

吉川英治は昭和37年に亡くなっていますが、昭和40年代になると、英治の子供たちは、就職や結婚で独立していき、英治本人もいないので秘書や書生、お手伝いさんも不要となり、文子夫人としては、家が広すぎて落着かない感じになっていたのでしょう。
そこで文子夫人は近くのマンションに引っ越し、残された屋敷を講談社に任せたようです。

なお、その後、この屋敷は吉川英治記念館の候補地のひとつとなりましたが、結局、記念館は青梅(吉野村)の屋敷に建設されたこともあり、いまは処分されて現存していません。
吉川英治が生前、ただ1ヶ所、自分の意思で建てた家がこの赤坂新坂町の家だったのですが、もったいない話です。

ちなみに、佐木隆三氏の文章の続きによると、「復讐するは我にあり」を書くためにカンヅメしたはずが、結局、「吉川英治文庫」を買ってきて、予定の10日間そればかり読みふけっていたそうです。

北九州とは関係がありませんが、おまけの話にさらにおまけ。

2010年に館内の企画展として「吉川英治の家族と家」という展示を行いました。
この企画展で、佐木隆三氏がカンヅメにされた赤坂新坂町の家の表札を展示していました。
少し白っぽくなっていて、文字もほとんど消えかかっているいるという代物なのですが、それをご覧になった吉川英治の次女・香屋子さんが、こんな思い出話をしてくれました。

赤坂表町の屋敷の塀にいたずら書きをされたことがあった。
業者を頼んで消してもらうことにしたが、消すのは難しいので、上からペンキを塗り直すことになった。
すると、この業者がいい加減な業者で、表札までペンキで白く塗りつぶしてしまった。
そうと気づいて慌ててペンキを拭き取ったが、一緒に元の文字も消えてしまった。

そんな話でした。

このことを文子夫人は大変残念がっていたそうです。

今となっては存在しない屋敷のかすかな痕跡に、そんな事があったとは、私も残念です。

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