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2012年6月12日 (火)

児童労働

6月12日は、2002年に国際労働機関が制定した≪児童労働反対世界デー≫なのだそうです。

ここで言う≪児童労働≫とは、子供の労働全てを指すのではなく、あるサイトの記述にしたがえば、「15歳未満(途上国は14歳未満、つまり義務教育を受けるべき年齢の子供)の労働と、18歳未満の危険有害労働」と定義されているようです。

ろくに学校へも通わせてもらえないまま労働を強要されたり、大人並みの危険な労働を強いられながら子供だからと低賃金でこき使われる、というような状況を指すのでしょう。

今の日本ではそういう意味での児童労働はほとんど無いと言えるでしょう(児童ポルノや性風俗産業を除けば)。
むしろ、国際的には、そうしたものを失くそうと率先的に声を上げる側にいると言えます。

しかし、吉川英治が少年時代を過した明治の日本では、まだそうした風潮は存在していました。
そもそも吉川英治の経歴の中に、児童労働と指摘されかねないものが含まれています。

吉川英治は11歳の時に、家運が傾いたため、小学校を中退させられ、印章店の小僧として住み込みで働くことになります。
これは義務教育を修了しないうちに学業を中途で辞めさせている訳で、児童労働にあたるでしょう。

その後、吉川英治は自叙伝「忘れ残りの記」や、そこに掲載された『自筆年譜』によれば、印刷屋の活版工、税務監督局の給仕、雑貨商の店員などを経て、17歳の時に横浜ドックの船具部に就職しています。
この船具部の仕事はかなり危険を伴うもので、実際、吉川英治は船のペンキの塗り替え作業中に、足場ごとドックの底へ転落し、大怪我を負っています。
これも児童労働に属すると言えるでしょう。

もっとも、吉川英治によれば、横浜ドックでは規則上は20歳以上でないと採用しないことになっていたので、年齢を偽って入社したといいますから、自ら進んで児童労働に首を突っ込んだ、とも言えます。

ちなみに、ドックに勤め始める前には、日雇いの土工もやっており、それも児童労働になるような気がします。

吉川英治の場合には貧困のため、やむなく児童労働に従事していたわけですが、そこに埋もれることなく、独学で作家になる事が出来たのは、本人の意志の力や、偶然にもたらされた幸運を掴み取る才覚があったからでしょう。
もちろん、吉川英治はそうして自力救済したのだから君たちもガンバレ、で済む問題ではありませんが。

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