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2012年6月 7日 (木)

たられば

昨日触れたように、吉川英治の終焉の地である赤坂新坂町の家は、吉川英治記念館の候補地のひとつだったと聞きます。

かつて、当館の入館者数が年間10万人を越えていた頃、私の先代の学芸員が、こんなことを口にしていました。

昭和50年代の「ディスカバー・ジャパン」の波に乗って記念館は入館者を増やしてきた。そのことを考えると、赤坂ではなく青梅に記念館を造ったことが幸いした。

つまり、国内への小旅行がブームとなり、青梅のような都市近郊の“田舎”にも魅力を感じる人が多く現われ、その人たちによって入館者数が支えられてきた、ということです。
それに青梅には≪梅≫という観光の核になるものもありました。

しかし、入館者数が激減し、震災の影響もあったものの、昨年度はついに2万人を下回るまでになってしまった今、そして、プラムポックスウイルスの影響で梅林の今後が不透明になっている今、もし赤坂に吉川英治記念館があったら、どんな風になっていただろうと思わなくもありません。

現在記念館がある青梅では、どうしても観光客を軸にした形になってしまいがちです。
周辺人口は決して多くはありませんし、地元に住む方々は、英治忌のような特別な日でもなければ、休みの日にわざわざ近所の記念館に行こうとは思わないでしょう。

一方、赤坂であれば、周辺人口が青梅よりも多い。
住んでいる人だけでなく、周辺のオフィスなどに勤めている人の数も多い。
現在記念館には飲食施設はありません。
それは安定した需要が見込めないからですが、赤坂であれば、飲食施設だけを利用するお客さんをある程度の数確保できるのではないかとも思います。
ミュージアムグッズの販売も含め、商売的な展開が色々出来そうな気がするのです。
また、いま記念館は冬季には営業時間を短縮していますが、逆に、営業時間を延ばしてアフター5の勤め人を呼び込むという方向性もありうるでしょう。

ただ、入館者数は、かつてのように10万人を超えるなどということは、赤坂ではありえないような気はします。
交通の便は格段に良くなりますが、逆に≪梅≫のような多くの人を呼ぶ要素があまりありません。

一度にたくさんの人は来ないけれども、日常の延長としてフラッと立ち寄ることが出来る、そんな感じを目指すことになるのでしょう。

さて、実際に赤坂に記念館があったらどうなっていたのでしょうね。

まあ、赤坂の家が現存しない以上、考えても無駄なのですが。

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