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2012年6月17日 (日)

露八が先

一昨日の北方さんの講演で興味深かったことの一つが、北方さんが最初に読んだ吉川作品が「松のや露八」だったことです。

「松のや露八」はこんな作品です。

中学生の時のことだそうですが、中学生が読むにはちょっと渋すぎる気がします。

実際、講演の中で、剣豪の榊原健吉も登場しているのに特にチャンバラのシーンも無いし、露八は女に身を持ち崩して転落していくだけだし、なんだこれは?と思ったという感想を述べておられました。

もっとも、後年、売れっ子作家となり、≪月刊北方≫と揶揄されるほど盛んに執筆していた頃に改めて読み直した時には、露八の生き方に対して「俺もこんな風に自由に生きたい」という感想を抱いたのだそうです。

これは、講演中の話ではなく、講演後に楽屋で話しておられたことですが、「松のや露八」の後、次は「宮本武蔵」を読んだが、中学生の自分にはお通は理想の女性だった、しかし、いま読み直すと、こんなどこまででもついてくる女はかなわないと思う、ともおっしゃっておられました。

中学生と大人では、同じ作品でも抱く感想が違う、人生経験は読後感を変えてしまう、という、当たり前と言えば当たり前な話ですが、しかし、逆に言えば、そうした様々な読み方ができると言うことが、文学の懐の深さということになるのでしょう。

ところで、以前こんなことを書きましたが、この≪露八=又八≫ということに中学時代の北方さんは気づいたそうで、それを今回の講演で話すつもりでいたところ、直前に第一部として話をした吉川英明が、吉川文学の転機として≪露八=又八≫の話をしてしまったので、話すことが無くなった、なんてことも話しておられました。

講演ではその他に、ご自身の青春時代、文壇裏話なども飛び出して、面白かったのですが、そのあたりは吉川英治とはおおむね無関係でしたので、ここでは触れません。

とても良い講演会でした。

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