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2012年6月18日 (月)

将門

北方謙三さんが最初に読んだ吉川作品は「松のや露八」で、主人公の転落人生に、何だこれは?と困惑したという話に、昨日触れました。

翻って考えてみると、私が最初に意識して読んだ吉川作品は「平の将門」でした。
北方さんのように中学生ではなく、20代になってからですが。

しかし、ちょっと違和感を覚えたことは、共通体験と言えるかもしれません。

私が中学生の時、たまたま学級文庫に海音寺潮五郎の「平将門」があったので、それを読みました。
その後、読み直していないので内容はうろ覚えですが、そこで描かれた将門の姿に、やがて訪れる武家の世、地方勢力の台頭、その先駆的な人物で、勇猛なサムライという印象を受けたのですが、吉川英治の描く将門像はそれとは随分違います。

純粋で善良だが、その裏返しでもあるかのような愚鈍さ、無知、そういったものを抱えた人物、そういう将門像なのです。
そのため、周囲の悪意や権謀術数に振り回され、気がついたら朝敵になってしまっていた、という、どうにも行動に自発性の感じられない、受身な人物に見えてしまうのです。
野心家で策謀に長けた人物として描かれる藤原純友の方が、むしろ魅力的に見えます。

これが「宮本武蔵」の作者が書いた作品なのだろうか?と、戸惑ったのでした。

もっとも、一通りの作品に目を通した今は、こうした世間知を持たない野生の人物を、吉川英治は好んで書いていることに気づきましたが。

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