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2012年6月14日 (木)

三笠宮殿下

本日、先頃お亡くなりになった三笠宮寛仁殿下の斂葬の儀が執り行われると報道で見ました。

吉川英治は、寛仁殿下の父・崇仁殿下と交流があったことは、このブログで書いたことがあります。
歴史学者でもある崇仁殿下が、多くの歴史学者たちとともに、現在記念館になっている吉野村の吉川邸を訪ねていらしたこともあります。
その際の寄せ書きは、現在、北九州市立文学館での吉川英治展に出品しています。

当館館長の吉川英明は吉川英治の長男ですが、寛仁殿下とは、それぞれの息子同士、何か交流があったのかと尋ねてみたところ、取り立てての交流はないけれど、飲食店などで顔を合わすと会話を交わすくらいの仲ではあったそうです。

神道に冥福という概念があるのかどうかよくわからないのですが、ご冥福をお祈りいたします。

ところで、こんなところで書く話ではないかもしれませんが、以前、吉川館長からこんな話を聞き、興味深いと思ったので、ご紹介してみます。

上記の通り、吉川英治は崇仁殿下と交流があったのですが、そのため時々、殿下本人から電話がかかってくることがあったそうです。
ある時、たまたま若き日の吉川館長が電話に出たところ、相手が「三笠です」と名乗ったので、一瞬誰のことかわからなかったそうです。

ご自分には≪宮≫をつけないものなんですね。

寛仁殿下は崇仁殿下がご存命のため、将来、嗣子として≪三笠宮≫を継ぐという前提で宮号がなく、厳密にはまだ≪三笠宮≫ではない、という形になっていたそうで、ご本人もそのような発言をされているそうですが、果して、電話の名乗りはどうされていたのでしょうか。

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コメント

寛仁殿下の事ではないのですが、高円宮殿下が憲仁殿下だった独身時代、NHKだか国際交流基金に勤務されていた時、便宜上、自他共に「三笠(さん)」で通されました。しかし、寛仁殿下は「私は三笠宮寛仁ではなく、家内も娘にも三笠宮を冠するのは正しくない」と厳格だったので、三笠宮様や弟宮様とは異なっていた可能性大です。

投稿: 節談 能登節 | 2012年6月20日 (水) 23時21分

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