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2012年6月 5日 (火)

小倉・門司散歩――意外な出会い

巌流島から船で門司港に戻ると、今度はJR門司港駅から鉄道で西小倉まで移動し、松本清張記念館に向います。

受付で、「吉川英治記念館の者ですが、館長さんはおいでになりますか?」と声をかけました。
まあ、無料で入館しようというケチな了見で声をかけたのですが、現われた藤井康栄館長が吉川家と関わりのある方だったので、驚いてしまいました。
というのも、藤井館長はかつて文藝春秋社にお勤めで、吉川英治の没後、その百か日にあわせて刊行された「わたしの吉川英治―その書簡と追憶」という本の編集担当者で、赤坂新坂町の吉川邸にも何度も足を運んでいたと言うのです。

ケチくさい根性で声をかけた私は恐縮していまいましたが、吉川英明館長にとっては懐かしい思いを抱かせる邂逅だったようです。

ちなみに、現行の吉川英治賞になって最初の吉川英治文学賞の受賞者は松本清張です。
その贈呈式の写真が館内に展示されていました。
そこには今年で7回忌になる吉川文子夫人が一緒に写っていました。
46年前のその写真を見ている吉川館長の姿は、とても感慨深げでした。

さて、今回の吉川英治没後50年展の企画段階で、「北九州と吉川英治」というコーナーを設けるということで、色々と思案したのですが、吉川英治と関わりのある北九州出身の作家となると、この松本清張と火野葦平くらいしか思い浮かばず、とりあえずこの2人との関係と、2度の取材旅行のことを中心に構成しました。

ところが、いざ北九州にやって来て、そこで北九州市立文学館の今川英子館長から、私がすっかり見落としていたもう1人の作家の話をご教示いただきました。

「富島松五郎伝」の作者、岩下俊作です。
「富島松五郎伝」というよりは「無法松の一生」という方が通りがいいでしょう。

今川館長の話では、2度も直木賞候補になりながら受賞を逃した「富島松五郎伝」を、選考委員であった吉川英治が惜しみ、雑誌『オール読物』に掲載するよう働きかけたうえに、推薦文まで書いた、それが岩田豊雄の目にとまり、それが文学座での舞台化のきっかけとなり、以後の映画化に結びついた、全ての出発点は吉川英治である、と言うことでした。

ご指摘を受けて帰京後に調べてみると、「吉川英治全集」の月報38に岩下俊作による「三十年の心の負担」という文章が掲載されており、全ては吉川英治の推薦文がきっかけだったのに自分は礼状も書かず、会える機会はあったのに会うこともせず、そのまま吉川英治は世を去ってしまい、深い後悔の念を抱いている、という内容のことが書かれていました。

私も見落としていましたが、吉川館長もこの文章の存在を忘れており、今川館長の説明を聞いて驚いていました。

翌21日、展覧会が開幕し、吉川英明による記念講演が行なわれました。
その後、北九州市立文学館の方々と会食をしたのですが、今川館長の計らいで、その席に岩下俊作のご子息である八田昂氏も同席なさいました。

吉川館長は大学卒業後、NHKに就職して記者をしていた時代があるのですが、八田氏もNHKで同時代に記者をしていたとのことで、これもまた、不思議な縁を感じさせる邂逅となりました。

私よりも吉川館長にとって心揺さぶられる旅になったようです。


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