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2012年10月18日 (木)

神奈川(3)

しばらく前に、ブログのコメント欄に

松竹映画の「悲恋華」(1950)が吉川先生の原作だそうですが、原作の題名が何というかお分かりでしょうか

との書き込みがありました。

調べたところ、この「悲恋華」という映画の原作は「悲母観音」という作品です。

映画は観ていないのですが、せっかくなので、小説の方をご紹介してみます。

「悲母観音」

時は幕末、上野の戦争の起こる前の年のこと。
盗賊・鶯の伊三は、ドジを踏んで逃げ場のない袋小路に追い詰められてしまった。
運の尽きと覚悟を決めたが、結局命が惜しくなり、袋小路の先にある、お徒士組の深田俊作邸に入り込み、命乞いをする。
俊作の妻・お静は、哀れに思い、伊三を匿う。
おかげで町方をやり過ごした伊三は、お静に礼を述べて立ち去る。
そこへ、寄合いに出ていて不在であった俊作が帰宅する。
そして俊作が見つけたのは、伊三がうっかり落としていった紙入れであった。
お静は先程逃げ込んできた町人を匿ったことを告げるが、この紙入れは町人風情が持つものとは違う、と激昂した俊作は、お静が不義を働いたものと決め付け、まだ、産後20日にもならないお静から赤子を取り上げ、家から追い出してしまう。
やがて、明治の世、西南戦争も4、5年前の話となった頃、深田俊作を名乗る男が横浜の南京街裏で馬車屋の親方をしていた。
ある日、追剥ぎを働いた少年を捕まえた彼は、父親が病気のためつい出来心でやってしまった、という少年を見逃してやる。
その際、少年が落とした雑記帳には「士族深田俊作 長男深田清太郎」と書かれていた。
それを見て、少年の家に駆けつけた親方は、自分はかつてお静に匿われた伊三であること、俊作に追い出されたお静を探し出していままで養ってきたこと、深田俊作の名を名乗っていたのはそうすればいずれ耳に届いて俊作と出会うことが出来るのではないかと考えたからだということなどを、俊作に語る。
長い時を経てお静への誤解を解いた俊作とお静の再会を叶えた伊三は、かつての罪を自首し、俊作が看守を勤める横浜の監獄で模範囚として長く過した。

初出は『オール読物』昭和15年4月号。
また、『小説世界』昭和23年12月号に「町の鶯」と改題されて、掲載されたこともあります。
収録図書で一番新しいものは「吉川英治文庫132 柳生月影抄(短編集8)」(講談社 昭和51年)です。

作中で深田清太郎の雑記帳を見て驚く場面がありますが、そこに書かれていたのはその父の名と、あらすじでは略しましたが住所でした。
「神奈川県久良岐郡西戸部村字蓮池」というその住所は、吉川英治自身が家の零落のため移り住んだ場所でもあります。
吉川英治の自叙伝「忘れ残りの記」によれば、元は戸部にあった監獄の官舎(この作品ではちょうどその時代を描いている)でしたが、吉川家が移り住んだ明治40年頃には、貧民街となっていました。

吉川英治が描く横浜には、そうした自身の体験が、どこかに少し出てきてしまうようです。

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