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2012年12月20日 (木)

ことばを展示する

もう半月以上経ちますが、11月30日に開催された全国文学館協議会資料情報部会に出席してきました。
今回会場となったのは静岡県三島市にある大岡信ことば館でした。

さて、以前こんなことを書きましたが、ある時期、「文学館は文学が展示できない」「文学館に展示しているものは文学そのものではない」という事柄が頭を離れなかったことがあります。
結局、上記のリンク先で最後に書いたように、展示するものは作家の人間性であって構わないし、それを観た方々が自分の人生を振り返る足がかりになればいい、というところに、私の考える文学館の展示の意義というものは落着いたわけですが、それでもなお、展示で表現できることはもっとあるんじゃないかとの思いはありました。

そこで、そのヒントを求めて現代美術の展覧会に足を運んでいた時期があります。

いま手元に図録が残っているものとしては

「読めない本・新しい文字」(1998年3月3日~22日 三鷹市芸術文化センター)
「バベルの図書館 文字/書物/メディア」(1998年9月18日~10月25日 インターコミュニケーションセンター)
「サイモン・パタソン 言葉とイメージの遊戯室」(1998年10月3日~25日 三鷹市芸術文化センター)

があります。

なぜ、こんなことを書いているかというと、大岡信ことば館の展示を観て、ふとその頃のことを思い出したからです。

大岡信ことば館の展示は、生原稿や愛用品といった文学館では中心に据えられることの多い資料が、あまり目立ちません。
もちろん、ないわけではないのですが、そうした「大岡信の人物紹介」的な展示はごくわずかで、大部分を占めていたのは「ことば」の展示でした。
イメージしづらいでしょうが、こちらにある動画を見ていただくと、その様子がわかります。

こうした展示は、大岡信が存命の詩人であるということが、可能にしている部分が大きいように思えます。

少なくとも、小説ではこうしたことはなかなか難しいと感じます。

もちろん、ある詩をそのように展示するのが、その詩にとって最適な表現なのか、ということについては議論はあるでしょう。
しかし、それで新たな感じ方が生れてくるならば、それはそれでいいのではないかと思います。

ただ、単なる「面白い展示」で終わらないよう、何かもっと突き抜けたものが欲しい気もしました。
現代美術の作家に展示を委ねてみるのもアリかも。

そんなことを感じた展示でした。

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