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2013年1月 7日 (月)

森鴎外記念館

先日、ロゴマークについて触れた森鴎外記念館ですが、年末年始の休館中に、見学に行ってみました。

文学館と一口に言っても、当館のような個人記念館もあれば、神奈川近代文学館や世田谷文学館のような総合的な、また地域的な文学館もあり、俳句文学館や現代詩歌文学館のようなジャンルを特化した文学館もあります。

個人記念館でも、その立地が旧宅の敷地を利用したものから、縁の都市ではあるけれども立地自体はその個人とは無関係な場所に建てられているものなど、様々です。

そして、旧宅の敷地を利用している場合でも、その旧宅の建物が実際にその個人が居住していた時から現在まで残っている所と、建物は現存していない場合とがあります。

当館は幸いなことに旧宅が現存していて、しかも敷地が広いため、旧宅はそのまま手をつけず、別に展示室を建てています。

さて、森鴎外記念館は、鴎外が“観潮楼”と名付けた家のあった場所にあります。
しかし、残念ながら、“観潮楼”は現存しないため、新たな建物が建てられ、記念館となっています。

詳しい経緯は記念館のサイトを見ていただくとして、正直なところ、私は拍子抜けしました。

せっかく“観潮楼”のあった場所に建てられているのに、記念館の建物からは“観潮楼”をイメージできなかったからです。
少なくとも、私には感じられませんでした。

“観潮楼”があった当時から残っているものは「三人冗語の石」など、ごくわずかなものだけですし、当時は見えたという海も今は見えません。
記念館の建築それ自体で、“観潮楼”を表現してもらわないと、私のような凡下な者にはサッパリです。

上記サイトにある設計者の言葉によれば、「若き鴎外が学んだドイツの歴史的街並を彷彿」させることを意図したようですが、「鴎外が住んでいた頃の東京の街並みを彷彿」させるようなものではダメだったのでしょうか。

まあ、それは設計者の罪ではなく、この設計をコンペで通した者の罪と言うべきでしょうが。

森鴎外記念館は、既に出身地の津和野に存在しています。
そちらには隣接して鴎外の旧宅が現存しているそうですが(訪ねたことがないので具体的な状況は知りません)、そちらは作家としての鴎外の旧宅とは言い難いでしょう。

それよりも、30歳から亡くなるまで30年間暮らした“観潮楼”の方が重要だと思うのですが、館内に展示された模型でしかその姿が見られないとは、もったいないことだと思えて仕方がありませんでした。

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