« 誰何 | トップページ | 作家の犬2 »

2013年1月15日 (火)

江戸(2)

ある雑誌のサイトを見ていたら、江戸時代にも今日の「大食い選手権」のようなイベントが存在していたという事が書かれていました。

この江戸時代に行なわれていた「大食い選手権」に材をとった作品があります。

「醤油仏」

日雇い人足を扱っている親方の銅鑼屋の亀の寄子部屋に左次郎という若い男がいた。
それを武家の息子とにらんだ銅鑼亀が事情を聞くと、確かに因州池田家の家臣だという。
六年前、藩の重役から名品の壺の代金として二百両の金を預かって仲間(ちゅうげん)一人を連れて上方へ出た養母が、行方知れずになった。その間に父親が死んだが、この養母の事があって跡目が継げない。金を取り戻すか、せめて仲間の男の首を取らないことには帰藩できない。その養母たちが江戸にいるらしいと聞いて江戸に出てきたが、路銀が尽きて、ここにお世話になっている。
そんな打ち明け話を聞いて、銅鑼亀は協力を申し出る。
一方、その当時流行の大食会の影響で、賭食いなるものが、彼ら人足たちの間でも流行っていた。
そんな中でも名の知られていたのが「醤油賭の伝公」という男で、醤油の賭け飲みをして、いつも掛け金をさらっていく。
銅鑼亀の寄子部屋の連中が、面白がって伝公との賭けに挑むが、負けてしまう。
それで意地になった銅鑼亀の子分たちが再戦を挑むが、また負ける。
だが、その様子を見ていた銅鑼亀が、ある一計を案じ、子分たちにもう一度賭けをするようにとけしかける。
数日後、またしても賭けは伝公の勝ちとなる。
しかし、いつものように賭けの後、人足連中と分かれた伝公は慌てふためく。
銅鑼亀の差し金で、付近の銭湯がどこも休みなのである。
実は、伝公は醤油を飲んだあと、銭湯に入って、体の塩気を抜くことで、体調を保っていたのだ。
銭湯に入れなかった伝公は、ついに悶死してしてしまう。
死ぬとまでは思わなかった銅鑼亀たちが駆けつけると、伝公の死体にすがって泣く女がいた。
聞けば、この二人こそ左次郎の探していた養母と仲間であった。
銅鑼亀はそのことを左次郎に伝えようと部屋に戻るが、なぜか左次郎は姿を消していて、二度と戻らなかった。

『改造』昭和3年5月号が初出の短編小説です。
刊行中の「吉川英治歴史代文庫75 治郎吉格子 名作短編集(一)」に収録されています。

醤油を飲んだ後、熱い風呂に入って、醤油の塩分が対外に排出できるのかどうか、むしろ体内の水分が減って塩分濃度が上りやしないか、いささか不安になりますが、そこはお話ということで。

ちなみに、サイトの記事では「醤油1升8合」を飲んだ記録があるそうですが、伝公は2升8合を飲み干します。
ま、それで死んでしまうわけですが。

|

« 誰何 | トップページ | 作家の犬2 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 誰何 | トップページ | 作家の犬2 »