« 続々横浜散歩(1) | トップページ | All work and no play makes Jack a dull boy. »

2014年1月24日 (金)

続々横浜散歩(2)

この東福寺赤門前の清水町の家は、吉川英治の恵まれた幼少時代が暗転した場所でもあります。

桟橋会社の共同経営によって羽振りの良かった父親の直広は、自宅を改装して≪みどり屋雑貨店≫を起し、英治に商売の練習をさせようとしました。
その父の思いとは裏腹に、英治は中学校への進学を夢見ていました。
そんな暮らしが父親の訴訟沙汰で破綻し、小学校を中退して奉公に出されてしまうことになります(奉公に出された先は、以前触れました)。

その後、英治がその奉公先にいるうちに、残された家族は清水町の家を引払い、転居します。
それが今回足を運んだもう一ヶ所、西戸部蓮池という場所です。
現在は戸部町です。

奉公先で店主の不興を買い家に帰されてしまった英治は、母親の手紙により、奉公に出ている間に転居したことだけは知っているものの、それまで一度も見たことのなかった実家の姿をこんな風に書いています。

 字蓮池という所は、伊勢山から紅葉坂の反対側の方を西へだらだら降りて行って、中途から狭い横道をまた右へ降りきった一劃の窪地であった。藪やら古い池の残痕やらを繞って安ッぽい借家がぼつぼつ建て混み初めて来たといった風な場末であった。その一軒の格子先に、紛うなきわが家の表札を見つけたとき、ぼくはこれがわが家かと疑った。そしておずおずと足を踏み入れるばかりな狭い土間の中へ入ってまず奥を覗いた。
 家はたった三間ほどであった。以前の家庭にあったような家具や飾りは何一つ見当たらない。父の姿も見えなかった。奥の六畳にまだおむつの要る妹が蒲団にころがってい、狭い裏庭の外に物干竿へ洗い物を懸けている母の後ろ姿があった。(略)

実際にその蓮池と推定される場所に立ってみると、英治が描写するように、確かに低地です。
写真の道路を見ると一目瞭然です。
Dscn1252

Dscn1251

「父の姿も見えなかった」とあるのは、父親が投獄されていたからで、そのため困窮していた吉川家は、この蓮池の家の家賃が払えず、間もなく同じ西戸部の別の家に転居することになります。

「忘れ残りの記」の記述を追いかけてみると、一時的に羽振りが良くなった時期に関内の尾上町に転居した他は、以後数年間、西戸部の一帯で転居を繰返しています。
吉川英治にとって、貧困に喘いだ少年時代のその舞台は、この西戸部だったということになるでしょう。

古い西戸部という地名は、ぼくの頭には飢餓の辻みたいな印象を今ものこしている。尾上町から越した先は、また西戸部だった。家賃も物価も安く周りも同格者ばかりなので、貧乏がしよいのである。

そう書き残しています。

ふと見上げるとランドマークタワーが見えました。
ランドマークタワーは元横浜ドックです。
Dscn1246

吉川英治が横浜ドックで働き始めた頃の住まいは、やはり西戸部でした。
ここらあたりから、あのランドマークタワーの足元まで働きに行っていたのだと思うと、感慨深いものがあります。

西戸部での逸話はまだ多くありますが、今回は時間も余力もなくなってきたので、かつての蓮池を訪ねるにとどめました。

|

« 続々横浜散歩(1) | トップページ | All work and no play makes Jack a dull boy. »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 続々横浜散歩(1) | トップページ | All work and no play makes Jack a dull boy. »