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2015年9月 8日 (火)

修学院離宮奉加帳

表題の資料が、先日、読売新聞に取り上げられました。
単独で紹介されたうえ、1面の『編集手帳』でも言及されました。

読売新聞購読者以外の方にも、知っていただこうと思い、以下にご紹介します。

この資料は、昨年11月に京都市在住の方からご寄贈いただきました。
寄贈者の父である元宮内省職員の方が遺されたもので、その方が修学院離宮に勤務されていた時に、吉川英治が訪ねて来て、書いたものだと伝えられているそうです。

吉川英治の文の最後に書かれた署名には「昭和二十一年晩春/英治生」とありますので、文字通りにとれば、それは昭和21年3月のことということになります。
この頃、吉川英治は京都府北部の丹後地方に講演に出かけています。
おそらくは、その前後に京都市内にも訪れていたのでしょう。

ここに書かれているのは、昭和20年8月15日の終戦からまだ半年余りという時期の言葉ということになります。

読み下した文章を、ご紹介します。


長かりしたたかひもやみぬ 春行く一日

人とかたらうて修学院の御庭を訪へば

泉石の声寂として苔香草姿いたづらに過ぎ

し日のゆかしさを偲ばせ幽恨うたた去るを

わすれしむ 流々春秋の転変史は常に

輪廻す 古人すでに云へるあり 国破れて山河

有りと われ何ぞ山水の荒涼を嘆とせむや

唯この平和そのものたる幽境に立ちて焦

土世間のいよよ極りなき骨肉相剋と同胞と

同胞との果てなき生きあらそひをおもふて

人間何ぞかくの如きや 自然の美に対して

慚愧と冷涙なき能はず



心てふかたちに澄める池水も

時のすがたは

うつし得ぬかも


「人とかたらうて」とありますから、誰かと同行していることは間違いありません。
吉川英治は、京都にも知己が多かったので、その中の誰かだと思われますが、それが誰であったかは伝わっていません。
奉加帳には他に2名の書き込みがありますが、内容などから、同行者とは考えられません。

ちなみに、「修学院離宮奉加帳」という名称は、寄贈者の方がそう呼んでおられたので、それを踏襲したものです。
実際には、表紙の題箋には「雲煙過眼」と書かれています。
その文字は、吉川英治以外の人物のものです。

文字を解読している時に、若干の違和感を覚えたのは「冷涙」ですが、「涙を零す」という意味で用いているのだと思われます。

最後の短歌は、今まで知られていなかったものです。
本文と合わせて読めば、長い戦争をようやく終えたというのに、荒廃した国土での厳しい生活の中、今度は同胞同士が生きるために争う、そのあり様を嘆く姿が浮かびます。
その思いは、この4年後に連載を開始する、吉川文学のひとつの到達点とも言える作品、「新・平家物語」にもつながっていくもののように思えます。

終戦直後の吉川英治の心境を知る貴重な資料だと言えるでしょう。

なお、この資料は秋の常設展「『新・平家物語』を中心に」の中で、11月29日まで展示しています。

ご興味のある方はお運びください。

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